私の旅日記2013年

伊那橋〜井上井月と種田山頭火〜

伊那の小沢川は市内を流れ天竜川に注ぐ。


小沢川の伊那橋親柱に山頭火の句が刻まれていた。


あの水この水天竜となる水音   山頭火

種田山頭火(1882〜1940)は、『層雲』派の自由律俳人、山口県生まれ。

井月の生き方に共鳴し、昭和14年(1939年)5月3日、伊那に来て俳友前田若水の案内で井月の墓参を果たし、当地に2泊、風趣に富む俳句と日記を残した。

 五月四日 晴、若水居。

春、山国の春、高原の春、山の色、空の色、土の色、何も彼も春だ。

若水居のしたしさ、若水君その人のあらはれだ。


反対側の親柱に井月の句が刻まれている。


柳から出て行舟の早さかな   井月

井上井月(1822〜1887)は、俳人、新潟県生まれ。

東北や関西に芭蕉の足跡をたどった後、伊那に来て30年、家も妻子もなく、俳諧一筋に、仲間の家々を訪ねては1泊2泊、流麗な筆跡の高吟を残し、酒を愛し無欲漂泊な生涯をこの地に終わる。

版画 森 獏郎


井上井月と種田山頭火との出会い

 山頭火はついにやってきた。昭和14年5月3日であった。

 昭和9年から数えて丸6年ぶりの井月墓参の実現であった。

 前回は木曽から峠越しの伊那谷入りで、藤村の『夜明け前』の舞台、馬籠をも訪ねることが出来なかった。飯田での急性肺炎に懲りてか、豊橋から飯田線利用での伊那入りであった。

 山頭火は井月の生き方に心酔しており、「いつも考えるのは、井月のことである。彼の酒好きや最期のことである」と日記に残している。

 この度は、各地の旧友知己の温情にすがっての旅であり、今回は目的をはっきり井月墓参に絞っていたのであった。墓参が終った夜、伊那の予地から木曽へと帰っている。

 さて、井月と山頭火が実際に出会ったことは無いが、もし出会っていたら、二人とも無類の酒好きであったので、「千両、千両」と酒を酌み交わしたであろう。

明日知らぬ身の楽しみや花に酒
   井月

寝ころべば信濃の空の深いかな
   山頭火

井上井月顕彰会

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