京都の伏見、愛知の豊川、佐賀の祐徳、茨城の笠間と共に五大稲荷に数えられているそうだ。 |
昭和29年(1954年)9月12日、井泉水の弟子関口江畔は89歳にて逝去。 昭和29年(1951年)9月、関口江畔の遺志により、江畔の子父草が建立。 |
大正14年(1925年)4月18日、若山牧水は岩村田に着き、「佐久ホテル」に投宿。翌19日、鼻顔稲荷神社に詣でた。 |
食後附近の名所鼻顔觀音に詣でた。なにがし川の岸、崖の中腹にきらびやかな御堂が設けられてあつた。我等はその崖の上の落葉松の林に入り、枯葉枯草を敷いて休んだ。丁度淺間を前に蓼科八ケ岳を背後に望むといふ位置にあつた。諸山悉く雪を纏ひ、あたりの落葉松も一向まだ芽ぶかう様子も見せてゐなかつた。
「信濃の春」 |
昭和11年(1936年)5月10日、種田山頭火は鼻顔稲荷神社を訪れ、記念撮影をしている。 |
鼻頭(ママ)稲荷の境内で記念撮影。 江畔老から牧水の事をいろいろ聞く。 うれしくあたゝかくやすらけく寝たり起きたり、我がまゝをさせていたゞく。 |
浅間をむかうに深い水を汲みあげる | 山頭火 |
兄も弟も日にやけて学校へゆく日となった朝飯 | 江 畔 |
あしもと照らしつゝゆくじぶんのあしもと | 父 草 |