2009年長 野

長命寺〜別当大日堂〜
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長野県東御市祢津に長命寺(HP)という寺がある。


智光山三光院長命寺


本尊は延命地蔵菩薩。

真言宗智山派の寺である。

長命寺に瀬下玉芝の墓がある。

鶴叟玉芝居士

護摩堂


本尊は不動明王。

長命寺の東の高台に別当大日堂がある。


大日堂


本尊は大日如来。

延宝7年(1679年)ごろの建造物だそうだ。

嘉永6年(1853年)3月28日、大日堂に俳額を奉納。

撰者は江戸の高梨一具と白眼台月村。

同年11月17日、一具急逝。享年73。

嘉永7年(1854年)8月、大日堂に俳額を奉納。

撰者は江戸の豊島由誓、一具庵北松と戸倉の虎杖庵亀守。

雪とまた手をかへて散さくら哉
   ネツ
 寛海

         撰者

里ふかし菊ある家のうしろ前
   為誰庵
 由誓

ひとは何われものいはじ今日の月
   一具庵
 北松

いそぎなばまはれ直路(すぐじ)ハ露と萩
   虎杖庵
 亀守

同年11月27日、安政に改元。

大日堂境内に多くの碑がある。

多くの碑の中に芭蕉の句碑があった。


月華の是やまことのあるし達

出典は『熱田皺筥物語』

 貞亨2年(1685年)、『野ざらし紀行』の途次、熱田で詠まれた句。

三翁は風雅の天工を受け得て、心匠を万歳に伝ふ。この影に遊ばんもの、誰か俳言を仰がざらんや

月華の是やまことのあるじ達
   芭蕉翁


 「この風雅の道においては、この宗鑑守武貞徳の三聖人こそ、まことに、月を眺め花を賞する上での主たちともいうべきであろう」との意。

 芭蕉が俳諧道において、守武・宗鑑・貞徳などにいかなる態度をとっていたかを見る上の一参考になろう。『皺筥物語』の伝えるところによると、熱田の門下東藤子の需めに応じて書き与えた句だという。即興の作だったわけである。「月花の」で小休止を置き「これや」と転じたところに、即興句としてのはずみが生かされている。


明治26年(1893年)、建立。

祢津定津院三十世住職小林寛海書。

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