万葉の歌碑
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みなかみ町後閑の利根川沿いに徒渉万葉歌碑があった。


徒渉万葉歌碑


利根川乃河瀬もしらすたゝ王多りなみ耳逢ふの春あへる君可毛

『万葉集』(第14巻)の相聞歌である。

 昭和9年(1934年)11月陸軍秋季特別大演習統監県下行幸の記念事業として建立。

町指定重要文化財 徒渉万葉歌碑

利根川の河瀬もしらすたたわたり
     なみに逢ふのすあへる君かも

御歌所寄人 鳥野幸次書

 『万葉集』の中でただ1つ数えることのできる利根川の歌である。月夜野橋下流約200mのところは、江戸時代から昭和の初期頃まで対岸への渡船場として浅瀬があった。ここを古来から“徒渉(ただわたり)”といっていた。上流にダム群が出現する以前でも膝をまくれば、利根川を歩いて渡ることのできた場所である。

 歌の意味は、「利根川の河瀬のことも考えず、ただひたすらに渡りに渡りて、波に逢う如く思いもよらずあなたにお逢いしました。」と愛人との突然の出会いを喜びあった恋歌である。この地点はかなりな川幅であるが、大きな石が川原をおおい、清冽な流れが水音高く消えて行く万葉の風情をそのまま今に伝えている。当時より人々の深い共感の中で愛唱されていたに違いない。

 御歌所とは宮内省(今の宮内庁)に属して、天皇、皇族の御製、御歌や御歌会に関する事務を扱っていた所で、この歌碑は職員の鳥野幸次の書であるが、詠み人は知られていない。

月夜野町教育委員会

月夜野橋から見る利根川下流


昭和46年(1971年)6月、富安風生は「ただわたり」を訪れている。

   利根川支流、月夜野橋の下あたりの瀬は、万葉集東歌に詠ま
   れし“ただわたり”の名所なりといふ

瀬々の夏むかしの恋はひたぶるに

『年の花』

 2005年10月1日、月夜野町は水上町、新治村と合併し、みなかみ町となった。

この歌の碑は群馬県渋川市の白井宿にもある。

茂左衛門地蔵尊へ。

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