万葉の歌碑
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休暇村志賀島

福岡市東区大字勝馬に「休暇村志賀島」がある。

平成3年(1991年)11月10日、金子兜太は「休暇村志賀島」で講演。

 志賀島。朝の晴れた玄海。十時から藤後左右追悼の集い。献句。「ずんぐりの志布志の人と秋白波」。連合組織のこと決まらず。小生講演「滑稽について」。

『金子兜太戦後俳句日記』

「休暇村志賀島」に万葉の歌碑があった。


大船に
 小船引きそへ
かづくとも
志賀の荒雄に
かづき
  あはめやも

大船尓小船引
副可豆久登毛
志賀乃荒雄尓
潜将相八方

万葉歌碑(志賀島第7号歌碑)・荒雄の碑

(万葉集巻16・3869)

 荒雄は志賀の白水郎(海人)であり、奈良時代に、大宰府より対馬に食料を運ぶための船長となった、親友の宗形部津麻呂にかわって出航したが、その途中で暴風雨のため難破し、帰らぬ人となってしまった。

 万葉集の巻16には不慮の死を遂げた荒雄をしのんで、妻子が詠んだと伝えられる10首の歌が載せられており、この歌はそのうちの一つである。「たとえ大小の船を出して、多くの人が海中に潜ったとしても、志賀の荒雄に潜り会うことができるだろうか。会えはしないのだ。」という意味で、夫をなくした妻子の切々とした悲しみを詠んだものである。

福岡県教育委員会

右手に「荒雄の碑」があった。


下馬ヶ浜海水浴場へ。

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