2024年京 都

宇治代官所跡〜京都銀行宇治支店〜
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JR奈良線宇治駅下車。

京都銀行宇治支店前に宇治代官所跡があった。


宇治代官所跡

 上林家は、徳川家康本能寺の変(1582年)で堺から三河に逃げ帰る際、上林久茂(ひさもち)らが近江信楽まで先導した功績により代官に取り立てられたと伝えられている。

 上林一族の代官支配は、江戸時代の初めころから寛保3年(1743年)までの百数十年7代にわたって宇治の代官として君臨した。寛保3年から寛政12年(1800年)までの57年間は宇治に居住しない代官がこの任にあたった。

 その後、寛政12年から天保14年(1843年)の43年間、上林六郎久忠が代官に就任しそのあと久建、久賢(ひさかた)が代官職を勤めた。以後宇治郷を支配する代官は京都代官小堀氏、信楽代官多羅尾氏の兼務で引き継がれ、明治維新におよんだ。

 代官所のあった宇治妙楽160番地は明治5年8月には宇治町役場となり、また明治6年2月に開校した菟道(とどう)小学校の門は、代官所の門が使用された。その後、この役場は、昭和26年の3月に宇治市役所となり、宇治市制が発足した記念すべき場所で、昭和38年に現在の宇治市役所(宇治琵琶33番地)に移転するまで続いた。

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