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浄土宗のお寺で、油懸山地蔵院西岸寺といいます。天正18年(1590年)雲海上人によって創建されました。通称「油懸地蔵」として有名で町名の油掛町も「油懸地蔵」に由来します。 寺伝によれば、昔、乙訓郡山崎の油商人が当寺の門前で油桶を転がして油を流してしまい、諦めて残りの油を地蔵尊に注いで、そのまま立ち去ったのです。その後、商人は商運に恵まれ、大金持ちになったといいます。それ以来、願いごとがある人は油を注いで祈ると霊験があるといわれ、人々の信仰を集めました。 お地蔵さんは石の仏さまで、立ち姿が浮きでるように彫刻され、右手に錫杖、左手に宝珠を持っています。お顔が美しく、なで肩、大きな胸あきの彫法、錫の部分の大きく立派なことなどから、鎌倉時代の作といわれています。銘文が刻まれているようですが、昔から油を掛けて祈願され、油が2センチも厚く積もり、調べようがありません。 境内には、芭蕉が当寺三世任口上人を訪ねた折に詠んだ句の碑もあります。
洛南保勝会 |

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任口 城州伏見西岸寺三代住僧、寶譽ト号ス、任口ハ俳名ナリ。
『蕉門諸生全伝』(遠藤曰人稿) |
| 一夜の月や一宿覚の影法し | 任口 |
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興昌寺蔵「筆海帖」 |

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貞享2年(1685年)任口(宝誉)上人の高徳を慕ってたずねた芭蕉が出会の喜びを当時伏見の名物であった桃にことよせて「我衣にふしみの桃の雫せよ」と詠じたもので、『野ざらし紀行』には「伏見西岸寺任口上人にあふて」と前書がある。碑は文化2年(1805年)の建設である。 任口上人は当山三世住職。重頼門下の俳人。法名は如羊と称して宗因に連歌、維舟に俳諧を手ほどきし、晩年、談林の長老として慕われた。当山に訪れる客は多く、西鶴や其角、玖也、季吟、意朔らの当時の著名な俳人も多く足をとめた。 任口上人は貞享3年(1686年)81歳で示寂し、当山墓地にまつられている。
西岸寺 |
| 伏見西運寺興行 |
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| はつゆきに人ものぼるかふしみ船 | 其角 |
