芭蕉の句碑
『奥の細道』〜東 北〜

関守の宿を水鶏にとはふもの


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この句は俳聖松尾芭蕉が、元禄2年(1689年)奥の細道の旅のおり、須賀川の相楽等躬のもとに滞在中、白河藩の俳人何云(かうん)あての書簡に、 |
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白川の風雅聞きもらしたり、いと残多かりければ、須か川の旅店より申しつかはし侍る。 |
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という言葉をそえて贈った句であります。 何云を関守りに見たて、白河で面会できなかった心残りをこめた挨拶の句と解されています。 この芭蕉の書簡は出光美術館に所蔵されており、碑の文字は芭蕉の真蹟であります。 平成5年(1993年)11月28日
青雲社 |
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「白河の関を過ぎる際、よく存じ」あげないままにお訪ねもしないでしまって口惜しい次第です。あの時、丁度あたりで鳴いていた水鶏に関守ともいうべきあなたのお宿を尋ね、その戸をたたいてお訪ねして、あなたの風雅に接すべきでしたのに、いまさら残念に思われてなりません」の意。 何云に対する挨拶の句である。挨拶の吟としての一種の軽みは出ているが、「水鶏」は人を尋ねる縁でもち込まれたものであるため、実感に乏しい。 何云宛真蹟書簡に「白河の風雅聞きもらしたり。いと残多かりければ、須賀川の旅店より申しつかはし侍る」として掲出。『曾良書留』(「白河、何云へ」と前書)・『伊達衣』(「白河に住む何云へ文をつかはすはしに」と前書)・『奥細道拾遺』・『蕉門録』(「白川何某へ文遣すはしに」と前書)・『菅菰集』付録(白河の関)と前書)にも収める。『雪丸げ』には下五「「問ふものを」とある。のは誤りであろう。前書に示す成立事情よりみて、元禄二年四月須賀川での作。 |
