2023年の旅高 知

龍河洞〜山内浩先生壽像〜
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香美市土佐山田町に龍河洞(HP)がある。

龍河洞に吉井勇の歌碑を見に来たことはあるが、龍河洞に入ったことはない。

今日は龍河洞に入ってみることにする。

龍河洞

(国指定史跡・天然記念物)

 宝山の中腹にある石灰洞穴で、三洞に別れ、延長4キロメートルのうち、1キロメートルが開発されている。山腹に入ロがあり、出口は上の方にある。出口附近に古代人の穴居生活跡があり、石灰華に包まれて固着した土器があり、「神の壷」と呼ばれ貴重な学術資料である。その外、弥生式土器、石器、炉跡などがある。

 洞名の起こりは承久の変(1221)の後、土佐に配流された土御門上皇が入洞された時、錦の蛇が現れ、上皇を案内したという。天皇の乗物「竜駕」が転じて「龍河」となったとの伝説がある。

高知県・土佐山田町教育委員会

 平成18年(2006年)3月1日、土佐山田町は香北町、物部村と合併し、香美市となった。

入洞料金は1,200円。

洞窟だから暗い。


石花殿


洞穴サンゴ(小さい鍾乳石)が天井と壁一面に広がる。
光を反射し、まるで石の花が咲き乱れるように見える。

不思議な色である。

雲の掛け橋


飛龍の滝


これには感動した。

記念の滝


昭和6年(1931年)山内浩氏、松井正実氏の両名が
前人未踏であった滝の上部を探索、その奥に広がる大規模な鍾乳洞が発見された。
龍河洞探索の礎となった記念すべき場所。

紀念碑


昭和7年1月10日、保勝會建立。

龍 口


上龍河の盆地(ドリーネ)に大量の雨が降ると、
幕状鍾乳石の奥から勢いよく水が流れ落ちる。
その様がまるで龍が口から水を吐くように見えることから名付けられた。

裏見の滝


高さ6m、石の形状が流れる滝を思わせる。
洞内でも珍しい、鍾乳石の裏側も見ることができる貴重な大石柱。

玉簾の滝


玉を綴(つづ)って作られた簾のような、
高さ6m、幅4mの滝状の大鍾乳石。
どのような水の流れがこの造形をうみだしたのか、
自然が織りなす芸術の奥深さは計り知れない。

昭和32年(1957年)5月27日、吉井勇は龍河洞を見物する。

双葉山の臍摺り岩はいづこぞと龍河洞に來て案内(あない)者に問ふ


「双葉山のへそすり岩」は、よく分からなかった。

逢坂峠はきつかった。

神の壺


約2,000年前、弥生人が洞内で水を汲む際に使ったとされる弥生式土器で、
炭酸カルシウムに包まれ、化石のように鍾乳洞と一体化している。

プロジェクションマッピングの上映


よく分からなかった。

山内浩先生壽像


昭和53年(1978年)1月、龍河洞保存会建立。像制作者浜田浩造

山内先生は明治36年10月30日愛媛県上浮穴郡美川村に生れ、旧制広島高等師範学校卒業後高知県立中学海南学校に教諭として在職中神秘的な龍河洞に関心を持ち同僚と共に洞内探検にいどみ優れた素質と旺盛な探求心を似て遂に昭和6年6月7日前人未踏の奥洞発見成功爾来龍河洞保存会の開発事業に指導盡力された。

今日の龍河洞発展育成の功績をたゝえこの像を建立する。

平成16年(2004年)8月、美川村は久万高原町となった。

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