2019年鹿児島市

鶴丸城跡〜天璋院〜
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 平成18年(2006年)4月6日、鶴丸城は日本100名城(97番)に選定されたそうだが、鶴丸城には象徴となる天守や大手門等がない。

鶴丸城の石垣と濠


明治7年(1874年)、城山の鶴丸城は焼失。以後再建されることはなかった。

北御門入口に「史跡鶴丸城跡」の標柱があった。


鹿児島県歴史資料センター黎明館


天璋院


平成20年(2008年)、NHK大河ドラマ「篤姫」放送。

私は見ていないが、宮アあおいの印象が強い。



平成22年(2010年)12月19日、建立。

碑 文

「私事一命ニかけ是非是非御頼申候事二候」

 天璋院(篤姫)は、天保6年(1835年)今和泉島津家の姫として現在の鹿児島市に生まれた。 嘉永6年(1853年)、島津家第二十八代当主斉彬の養女となり鶴丸城に入り、安政3年(1856年)、近衛家の養女として、第十三代将軍徳川家定の御台所となる。わずか2年足らずで家定が没した後は、落飾して天璋院と号した。

 その後、世の流れは討幕へと大きく傾いた。討幕軍の先頭に立っているのは実家の薩摩藩であり、その参謀は西郷隆盛であった。天璋院は、苦しい立場の中、最後まで江戸城に留まり、徳川家の存続に力を尽くした。

 冒頭のことばは、天璋院が、戊辰戦争の際、徳川家の存続を願い、官軍隊長に宛てた嘆願書の一節である。

 幕末から明治にかけての激動の時代に、自分の信じる道を生き抜いた天璋院は、明治16年(1883年)に没するまで、再び故郷鹿児島の地を踏むことはなかった。

 平成20年のNHK大河ドラマ「篤姫」放送にあわせて設置した「篤姫館」は県内外から66万人余りの入館者をみた。この像は、その収益を基に、天璋院の功績を顕彰するため建立するものである。

「篤姫館」実行委員会

「西郷どん」では、北川景子が演じた。

共にイメージが違う。

図書館の正門


 県立図書館は、鹿児島城(通称鶴丸城)の二之丸跡内に建っている。二之丸というのは、本丸に対する一般的な呼び方で、藩主の世子や隠居の居宅などがあった。

 現在の図書館の正門は七高時代の門柱で、ここには、以前二之丸御門と呼んだ木造の門があり、天明5年(1785年)以後は矢来御門と改称されている。

 明治10年(1877年)9月24日(西南戦争最終の日)の早朝、官軍の攻撃によって二之丸は炎上し、築城以来二百数十年つづいた屋形の歴史はその幕を閉じた。(本丸は明治6年焼失)その後、第七高等学校造士館や鹿大医学部のグランドに使用されていたが、昭和55年県立図書館が建設され現在にいたっている。

昭和14年(1939年)1月3日、山口誓子は鹿児島を訪れている。

七高の正月休む城の垣

造士館城にして寒夜燈をともす

城山は寒夜犬吠え樹樹の深さ

兵起す喇叭ぞ鹿児島に雪降れり

『七曜』

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