2011年香 川

玉泉院〜西行庵〜
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善通寺の末寺に玉泉院がある。


善通寺玉泉院


長寛2年(1164年)、崇徳院は46歳で崩御。

仁安3年(1168年)、西行は崇徳院の霊を弔うため、讃岐に渡る。

善通寺の僧坊玉泉院に数年滞在した。

玉泉院に西行庵がある。


久に経て我が後の世を問へよ松跡しのぶべき人も無き身ぞ

ここをまた我住みうくて浮かれなば松はひとりにならむとすらむ

西行法師が詠んだ「久の松」が境内に残る。

玉泉院に玉の井という泉がある。

岩にせくあか井の水のわりなきは心すめともやどる月かな

  西行はその泉の水を汲んで弘法大師の霊前に供えたという。

寿永(1182−1185)の末期、西行は讃岐を去り、高野山へ。

 貞亨2年(1685年)9月、大淀三千風は西行の庵を訪れた。

彼西上人の撰集抄も。此所にて筆をとめられし。又菴の松そ。我後の世をとへよ松ともよたれ。松はひとりにならんと讀れしを。

   獨來て獨往にし餘波とて獨殘りし松ぞ淋しき

   なき人の筐(かたみ)の松にことゝへば誰が行末も嵐のみして


 寛政3年(1791年)4月、蝶夢は善通寺に参詣して「久の松」を見ている。

 西行上人の庵とて、松杉おひ竹しげり、池に橋わたして、あはれ氣に住なせし所あり、道の行手に出釋迦寺、曼荼羅寺にまうづ、上人の笠掛け櫻といふもあり、善通寺は誕生院と號して、筆の山の東南にて香色山の麓なり、樓ある門たて、筋付し築地めぐりて、堂塔及び僧の室も都めけり、南の門の前田中に荒たる草むらに老たる松立り、回り三圍にあまりて牛をかくすべく、下枝はなくて亭々と高し、是なん山家集に善通寺の庵の庭に、松のたてりけるを見て

   久にへて我のちの世をとへよ松跡したふべき人もなき身ぞ

   ここを又われ住うくてうかれなば松はひとりにならんとすらん

かくばかり執し給ひし松にて、所の人は久の松とよべり、したしく松のもとによりて、在世の昔をしのび、値偶の今をよろこぶ、

『四國に渉る記』

 文政10年(1827年)5月23日、鶴田卓池は西行庵の跡を訪ねた。

久ノ松ハ善通寺ヨリ南二丁斗ニアリ。西行庵ノ跡、玉井ノ水

   ひさに経て我後の世をとへよ松あとしのふへき人もなき身そ

西行

其外、西行ノ歌あまたあり。


玉泉院に「俳聖芭蕉」の碑があった。


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