大淀三千風
『日本行脚文集』
寛永16年(1639年)、大淀三千風は伊勢射和の商家に生まれる。
寛文9年(1669年)、31歳の時から45歳まで15年間仙台に住んだ。
○抑愚老身は勢州の産にして。今行脚の首途を奥州仙臺より始し因縁は。予十五歳の春より此俳道にかたぶき。日本修行の心ざし思ひいれ。終にわすられずして。十五年以前先づ松島の名高き気色を一見せめと當所仙府に縁を求めし。かの島の景艶にほだ(※足偏+「足」)し。かつ知音おほくちなみしまゝに年月を経ぬ。光陰時至ればや。天の時。地の理。人の和風(くわふう)。豊饒(ぶにょう)の世としなれば。此春に事定にし。
天和3年(1683年)4月4日、大淀三千風は仙台を立って『日本行脚文集』の旅に出る。
元禄2年(1689年)、自序。元禄3年(1690年)、跋。
○天和三癸亥櫻月廿五日門出の興行。百韻滿座の句。
いさや霞諸國一衣(いちゑ)の賣僧坊(まいすぼん)
すこしさはる事侍りて。同卯月四日。けふ夜を籠て立。おほくの朋友。數百の愛弟道送してなくなく別れんとす。獨歩に思ひ出ぬるうへは。もし行衛も志らぬ煙とへたつ事もこそあれと。けふを銘日にしてたうびよとうち泪ぐ見て。
光堂を訪れた。
中尊寺覆堂
月花螢こや三衡のひかり堂
象潟の蚶満寺を訪れた。
象潟
文化元年(1804年)6月4日(新暦7月10日)、象潟地震で象潟は隆起。
漸々蚶潟にいり、蚶満寺欄前湖水を眺望す。向に鳥海山高々と聳え、花のうへこぐ蜑の釣船とよ見しも、げにとうちえまるゝ。寺院の傳記什物見て、
西行ざくら木陰の闇に笠捨たり
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毛を替ぬ雪の羽をのす鳥の海
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波の梢實のるや蚶(きさご)が家ざくら
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酒田に着く。
かくて袖浦の大湊、酒田につく。五大院俳會、連衆廿餘人大寄。
湊女や螢を化粧(よそふ)袖のこし
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船の茂りはさそふうき草 酒田宗匠伊藤氏
| 玄 順
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酒田女も下戸子規は得ぞとめね
| 同
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世をふせ笠に青嵐ふく
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同十九日酒田を出。最上川の柳塘陰をのぼり、清川につく。此左南、羽・月・湯殿三山あり。予行脚の便路、季旬の障(さはり)もやと去夏山詣し侍りき。此度は遙拝して過しが、記し侍らぬもほゐなくて、湯殿一山を畧筆しぬ。
国分寺本堂
さて名高き越後の護國山國分寺の大伽藍は、聖武帝御建立日域第一の五智尊、坐像五尺有餘、放光蓮臺に膝をならべて坐し給ふ。
多太神社を訪れた。
多太神社
安宅の關の舊跡。又多田八幡宮には火威の鎧菊ガラクサの甲、これ實盛がかたみいとなつかしかりし。
廿六日金澤を過、越前の内、淺生津船橋を渡、御城下福井に着く。町屋一萬軒。地境めでたき所なり。玉江橋、小白山、鯖江、府中につく。湯尾峠を過て、歸る山にかゝる。
○古郷へ歸るの山の紅葉の色おもはゆき苔の衣手
大淀三千風は敦賀を訪れた。
今庄、木目峠、源山寺古戦場打眺、敦賀の津につく。
○折ふし敦賀祭の頃にてとゞめられし。金崎遠望。氣比宮、當り宮の縁起等略。當津十景の記をかき十句し侍し。
一葉江に杖の檣(ほばしら)やすめたり
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三千筆の露の水揚 敦賀點屋
| 水 魚
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松も月もうつさはなどか所望集
| 同
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嵐はしめて濃色の濱
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「天屋玄流旧居跡」
巻之三
貞亨元年(1684年)、大淀三千風は高野山に登っている。
○貞亨元子春。高野山にのぼる。宿坊西谷戒光院につく。住衲所望により山の記をかく。記略。主も余に餞別の小序に一句を添たうびし。
貞亨元年(1684年)、大淀三千風は伊賀上野の西蓮寺に赴いた。
医王山西蓮寺
○伊賀上野當西蓮寺當住は。竹馬の古友なりしが。廿餘年對面せざれば。笠置窟見がてら立寄かしと。折々せうぞこし給ふ。遉遊かしくて。此春奈良の序に趣し。
○此彌生の序おかしく。笠置の窟見めぐり。奈良坂越て生駒山くらがり峠をくたる。
○偖明石人麿社。別當月照寺笑外堂頭に謁す。同幣屋花蝶子に細談。饗(もてなし)大かたならず。祠堂縁起は。古太守源信之君。寄進。大基の碑銘。弘文院長編に分明なり。予も海浦眺望の一軸せしが略。
歌塚や夢世の枝折杜鵑
岡山城
○ならはねど賓客暑氣に放氣(をどけ)たり | 岡山俳林 定直
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夜の窓のほたる目ざまし
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○今日しも備中吉備の中山見て來よ。いとけちくなんときゝし。吉備津彦社。いとりうぐしく。細谷川。有木の別所。かの劍を植し所を見て
くちぬ名のまかね吹てふ山陰にそのおもかげのけふりたつみゆ
○手島、尾道、三原、忠海、廣島を右に見て、名におふ宮島に帆竿(ほげた)すべらす。やがて游船(はしふね)傳ひにあがり、彌山の別當多門坊につく。寺社巡禮す。信に山閣海樓、美景目にも筆にも盡すまじけれ。縁起圖地略す。
○風の塒浮巣の廊やいつくしま
○水欄のあまり凉しさになん
○偖も當赤間關は。日本無双群船の津なれば。往還(ゆきかひ)の旅人榮耀過奢をつくす。まして浦山の風光名になびく。和布刈の社。常世を負し龜山の神室。御前鹽瀬。はやともの浦。豐浦。赤野に柳浦。みがきたてたる玉島まで。目をおどろかすばかり也。舸(はやふね)に竿さしてむかひの岸。文司關。硯きる岬より。和布刈の明神に一楫し神秘などきゝて。
○此うらの和布かりともしや小夜(さみ)螢
かくて旅舎(や)の隱居。宗意禪門を倡(いざな)ひ。西の山なき筋の濱の名石を拾ひ。猶檍(あはきが)原の波間よりあらはれ初し。神の本宮にまうづる。いと古久(かみさび)たる清社(すがやしろ)。奉納の一軸に。
○凉風植しこゝぞ神松のもとつゝを
○此社には奇異の什物あり。中にも宗祇法師。古名哲の短冊を百枚寄進せられし。希代の重寶なり。此神職(つけ)みどり□(※「衣偏」+「夫」)。季實翁。古來まれなる霜眉ちはやふり連歌にあやしく。翰(ふで)の道はたうつくし。予にも挨拶の秀作し給ふ。
世に匂ふ翰林(ふでばやし)の雲の葉は
かきとめがたし文字の關守 長門住吉社官吏部賀田氏 季實
赤間神宮
又の日をのをの袖ひきあひて。かの平氏入水のむかしをなんとて。松壽山阿彌陀寺にまうでし。うす墨の松のひまより見れば。筆海文島畫軸をのべ。彩雲彫岩仙閣を見る。やゝこなたにむきて。安徳天皇御影堂。まだいはけなきおほん像。其外供奉の一門かぎりのすがたを。古法眼が筆にとゞめたり。むかしを今のあはれさ。泪もさらにとゞめがたし。
暑をすゝぐ柳が浦を枝折かな>
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さらし清衣(ゆかた)も浪の濁江 | 小倉 賣炭
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○同六月廿五日小倉を立。即非和尚開基廣壽山を見て。大橋につく。
名殘を植て雨に咲せり宿の夏 | 豊前大橋苅田氏 殘春
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耳にひく泉に立とまりつれ
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南中楼門
○宇佐境内 凡日本第二の殊勝(すさう)地。四面太(み)山のかくろひ。其内に龜形の森山。めぐりは菱形池。月瀬川。淺瀬川。寄藻川をおびて。中島となり。現の蓬莱山といふべしや。惣名菱形。龜山。又小倉山といへり。第一應神天皇。第二神功皇后。第三玉依姫。以上三所。南向。外に八ケ社を始として。無量の末社あり。社頭の美麗はさら也。廻廊の道すがら冷々靜々として。只虫がふりぬる鈴の聲。水のしらふる鼓の音。松の言(ものい)ふ太諄辭(ふとのりごと)に毛もいよだちて宿古(かみさび)たり。
○此中津は繁花の地といひ。いづれも風月の方人のみにて。ゆるゆるとかたりしまゝに。此句の脇をそへ。一軸つくかたみにかきをき侍りしが略。
巻之四
貞亨元年(1684年)8月7日、大淀三千風は肥後熊本に着く。
熊本城
からうじて七日の夕ぐれに。肥後の城府。熊本職人町一丁子につく。偖當所は繁昌地。ことに山城の樓景。凡日本無双の勝地なり。町家五千餘宇。同士あまた。日夜の俳興。いとまなみ。初會は原田捨舟の萩を生れしに。
筑紫にもゆかり有けり宮城萩 | 肥後熊本 捨舟
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秋は西ふく松島翁
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貞亨2年(1685年)3月、大淀三千風は唐津を訪れている。
唐津城天守閣
偖(さて)唐津の城。海中に峙(そばたち)。町屋千軒繁昌の地なり。かつ又藤原廣嗣廟舎鏡宮。松浦川。草野山。浮嶽。この峰より釜山海みゆ。衣干山。神集(かれは)島。此外限なき名所名所。略。
筥崎宮に参詣した。
○生松原。姪濱。冷泉津。袖の湊。福岡城下。曹洞門安國寺。雪巖堂頭に珍談し。大湖山の記一軸略す。偖も當所は福岡。博多。二名一所。町屋一萬三千軒名にしおふ玉くしげ。箱崎の美景。日本無双の海眺なり。連集を倡(いざな)ひ。八幡宮に詣し。印の松を始て。三里の松原。塵だにすへぬ奇麗(きい)。社頭いとかうかうしく西にむかへばのこの島。志賀の島。すなはち磯良大明神の社地なり。
安楽寺天満宮を訪れている。
○人々此箱崎のうらを自負して。いかゞ風景はいづこかまされりといひしに。櫻川をうたひながら。
箱崎のふたみが浦の橋立の浪立ならぶ松しまの月。
かくて櫻月日。宰府の神津森に詣むと。修驗門。西河しもと(※「木」+「若」)を引導者にて行。みちすがら苅萱關。思川。染川。三笠森。四王寺。觀世音寺。十府樓。天智帝の舊都うちながめ。やがて宮寺に入り。内院安樂寺廟院といふ台宗。座主持。社僧五十房。社家八宇。一揖方拜のまはり魂をなし。宿坊検校(※共に手偏)坊に着。例の懐筆を染め法樂半軸を。
○卯月五日。幡浦。鶉濱。岡松原。小夜潟山。高倉山。魚池。鳥池。釜の名物。蘆屋里。此名所名所は皆稚櫻の宮の古事也。是より去夏立寄し。豊前小倉賣炭子に着。
○同廿七日船木を立。周防山口極樂寺に一宿す。當所はさしも名高き大内義隆都をまなび給ひし。祇園清水いと古久(かみさび)て今にのこり。四神相應地。梵閣。八十箇寺。宮社六十基俗屋四千余宇。無双の繁所なり。
出雲日御碕
○日神崎海眺 人々いざなひ。海大路の異島奇岩に目をきらさせんと。はや蘆分の棚なしを艤(ふなよそひ)し。風幕浪箪を我物とし。檜□(ひわりご)とりそへ。棹欲(てんか)燕々たる空に。友とする人指(ゆびさし)て。何島彼山と。右のかたにあめ色の嶮岩あり。龜甲の紋枇(あさやか)に。此神の璽(しるし)なりと。まことに卜食(うらはむ)てふ事も思ひ出すべし。舷(ふなはた)輾(きし)る音して。二ッ三ッぼろぼろふる。あなにくや。鹽の八百會(やをゑ)にます神津姫。此雨可々呑(のん)天牟(ん)といへば。いでその可々のうらこそ此あたりよ。それに大社の神の乳石ありて。今も水味(すいみ)したたる。細川幽齋の歌に。
あはれなりいまだ乳をのむ蜑の子の可々のあたりをはなれざりけり
むべも母を家々(かか)といふも。此例にやあらむ。とすれば雲雨を山の口かゝのんでんと人々笑ふ。
巻之五
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