貞亨2年(1685年)9月22日、大淀三千風は善通寺に着いた。 |
○廿二日出釋迦曼荼羅寺。高山寺をめぐりめぐりて。屏風裏誕生院善通寺につく。やがて院衲宥謙力生に清談せしに。徳老も本居(うぶすな)は濱荻の國となん。 |
文政10年(1827年)5月23日、鶴田卓池は善通寺に参詣。 |
五ツ半頃吸海樓ヲ立、五岳山誕生院に詣。 此辺、元入海ニテ屏風か浦ノ名有。屏風か浦と云処ハ弥谷ノ下白方ト云処也。 五岳山、我拝師山、香色山、火上山、中山、[筆山]是ヲ弘法大師ノ五山ト云。 |
昭和6年(1931年)10月31日、与謝野寛・晶子夫妻は善通寺を訪れている。 |
沙門よし金堂をもてもろこしの青龍寺をばうつし得るなど 善通寺朱門どほりの名を聞けど臺どころより暗き秋かな
「緑階春雨」 |