父は野辺地が浜にあり。妹をば通つて居る学校の女教師の家に下宿さす事にさす事にして盛岡に残した。母とせつ子と三人、午前七時四十分盛岡発下り列車に投じて、好摩駅に下車。 |
昭和25年(1950年)12月1日、渋民駅開業。 平成14年(2002年)12月1日、JR東日本から分離され、IGRいわて銀河鉄道の駅となる。 |
明治39年(1906年)、石川啄木は渋民尋常小学校の代用教員を勤める。小説『雲は天才である』を執筆。 |
なつかしき |
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故郷にかへる思ひあり、 |
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久し振りにて汽車に乗りしに。 |
明治39年(1906年)4月21日、石川啄木は好摩から沼宮内へ。沼福寺で徴兵検査。丙種合格、徴集免除。 |
待ちに待つたる徴兵検査が愈々この日になつた。学校をば欠勤。午前三時半に起床、好摩から六時に乗車して沼宮内町に下車、検査場なる沼福寺に着いたのが七時半頃。検査が午后一時頃になつて、身長は五尺二寸二分、筋骨薄弱で丙種合格、徴集免除、予て期したる事ながら、これで漸やく安心した。 自分を初め、徴集免除になつたものが元気よく、合格者は却つて頗る銷沈して居た。新気運の動いてるのは、此辺にも現はれ居る。 四里の夜道を徒歩で帰つた。家に着いたのが、十時頃。二階への梯子を這ふて上る程つかれて、足は痛くて動かなかつた。途すがら初鶯、初蛙をきいた。 一家安心。 |