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この灯籠は琴の糸を支える琴柱の形をしていることから、徽軫灯籠(ことじ)と呼ばれている。 手前の橋は虹橋。別名を琴橋ともいう。この巧みな意匠が兼六園を象徴している。 |

| 十三代藩主斉泰(1822〜1866)が、琵琶湖の松の名所唐崎から種子を取りよせ育てた。 |

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ここからのながめは、兼六園六勝の一つである「眺望」を味わうことができる。 左のはるかに横たわる稜線は内灘砂丘、その向う側は日本海、砂丘が右に尽きるところから能登半島が北にのびている。正面の山は卯辰山、右は遠く富山県境の医王山がのぞまれる。 |

| 中央に日本武尊像を、表に石川県戦士尽忠碑を据える明治紀念之標は西南戦争で戦死した郷土軍人の霊を慰めるもので、身長は5.5メートルの銅像は、明治13年(1880年)日本で最初に建てられた銅像といわれている。 |



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元禄2年(1689年)、芭蕉が金沢で作った句である。 書は江戸後期金沢の俳人梅室の書による。 |

| この建物は、文久3年(1863年)加賀藩主第十三代前田斉泰が母堂真龍院の隠居所として兼六園内の竹沢御殿跡の一隅に建立されたもので、金沢城からみて東南方即ち巽(辰巳)の方位に在るとして、当初は巽の新殿と名付けられたが、明治7年(1874年)に兼六園が一般公開された時に、成巽閣と改称された。 |

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この大きな戸室石は兼六園の「明治紀念之標」に乗っている日本武尊の銅像の台座石だった。 平成3年(1991年)に「標」を大修理したが、台座石はひび割れがひどく、再使用ができなかったため、新しい石と取り替え、この台座石は「標」の創建(1880年)を記念するためここに残したものである。 |

