2006年茨 城

野口雨情の生家〜十五夜お月さん〜
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野口雨情記念館から野口雨情の生家へ。

野口雨情の生家


雨情生誕120年野口雨情特別企画展


雨情生誕120年は2002年。4年前である。

ちなみに2005年は牧水生誕120年。

塩原の和泉屋旅館のカレンダーがあった。


和泉屋第14代主人泉漾太郎氏は雨情の弟子である。

野口雨情と夢二

 『赤い鳥』『金の船』『コドモノクニ』など子供のための児童文学や雑誌の隆盛時代を迎えた大正期、雨情は童謡運動の中心として活躍した。一方夢二も自ら少年少女のために詩や童謡を書き、表紙絵や挿絵を描くんど、この運動に共鳴したひとりであり、中山晋平作曲、雨情作詩の楽譜において夢二が表紙絵を担当したものも多く見られる。

童謡小曲


兎のダンス

明治37年(1904年)11月、栃木県喜連川の高塩家の娘ひろと結婚。
明治39年(1906年)3月、長男雅夫出生。
大正3年(1914年)4月、二女美晴子出生。
大正4年(1915年)5月、妻ひろと協議離婚。

 雨情は福島県湯本温泉の芸妓置屋「柏屋」の女将明村まちに求婚され、長男雅夫、二女の美晴子を連れて「柏屋」に住む。

十五夜お月さん

十五夜お月さん
御機嫌さん
婆やは お暇(いとま)とりました

 長男雅夫、二女の美晴子を世話していた若い女中さんに養女の話があって、引き離される。

十五夜お月さん
妹は
田舎へ 貰(も)られて ゆきました

二女の美晴子だけを喜連川のひろのもとに預ける。

十五夜お月さん
(かか)さんに
も一度 わたしは逢ひたいな。

 大正7年(1918年)、中里つると再婚。

 雨情は喜連川から雨情の生家に戻ったひろに長男雅夫、二女の美晴子を託して水戸に出て行ったそうだ。

2006年茨 城