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「一の谷」は、鉄枴山と高倉山との間から流れ出た渓流に沿う地域で、この公園の東の境界にあたる。 寿永3年(1184年)2月7日の源平の戦いでは、平氏の陣があったといわれ、この谷を200mあまりさかのぼると2つに分かれ、東の一の谷、本流に対して西の谷を“赤旗の谷”と呼び、平家の赤旗で満ちていた谷だと伝えられている。 一の谷から西一帯の海岸は、「戦の濱」といわれ、毎年2月7日の夜明けには松風と波音のなかに軍馬の嘶く声が聞こえたとも伝えられて、ここが源平の戦のなかでも特筆される激戦の地であったことが偲ばれる。
須磨浦通6丁目自治会 |

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明治40年(1907年)、新谷英夫は石川県金沢市に生まれる。 昭和2年(1927年)、東京美術学校彫刻科入学。吉田三郎に師事。 昭和5年(1930年)、兵庫県神戸市に移住。 昭和12年(1937年)7月、長男新谷e紀(ゆうき)が生まれる。 |

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昭和29年(1954年)4月3日、除幕式。 昭和33年(1958年)、武庫川女子大学教授。 |
| 平成7年(1995年)1月17日、兵庫県南部地震で一対の石の地球儀(直径1.2メートル)のうち、左の地球儀が塀の外側に落ち、そのままの状態で残されている。 |
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着ぶくれて地震の様子を見に出づる 寒の水汲みて戻りて来し余震
稲畑汀子未刊句集『風の庭』(平成7年) |
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被災地の十年三寒四温かな 震災の十年思ふ寒さかな
稲畑汀子未刊句集『風の庭』(平成17年) |

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瀬戸内海及び関門海峡は歴史の通路である。この滄溟の廻廊を人の群れが環流するたびに時代は激しく屈折した。 十二世紀末、一の谷から屋島、さらに壇ノ浦をめざして軍船を移した平氏が西海の落日と共に燃え尽きるや日本史は古代から中世へと転回した。 源平の争乱は、もはや極彩色の絵巻にぬりこめられたが、列島の天地をゆるがす歴史的対決であったという事実を私たちは決してわすれないであろう。 八百年の歳月をつらぬく敗者の涙、そして勝者の鯨波は、今もこの海をめぐる。 わが先祖の華麗な光芒を偲び、かつ未来にむかう友愛の連環を私たちがここに契るとき、歴史は新しい創造の糧としてよみがえるのだ。 |
