旧例幣使街道、境宿織間本陣は寛文2年(1662年)に伊勢崎藩士鶴田弥太郎氏の家を当地に移築したもので、わら葺平屋建ての主家と片袖付門構えは古い建築様式をそのまま残し、旧本陣として境町の町指定史跡であった。本陣跡の建物は門をくぐり大玄関を上ると9個の室を配し、広い土間(ダイドコロ)や貴賓の上座の間を有した。 |
宝暦13年(1763年)、建部凉袋は初めて織間本家六代目の只聴を訪れる。只聴の代から境宿本陣を勤めた。 |
分家の織間由水は凉袋に師事、ついで栗庵似鳩の社中に入った。
寛政3年(1791年)4月12日、一茶は熊谷から中瀬のわたりを越え、境町へ。 |
熊谷を北に入て、東方村より中瀬のわたりを越へ(え)、境町の雪車といふ人を訪ふに、京へ行ぬとあれば、いせ崎の渡りをこす。日は薄々暮て、雨はしとしと降る。
時鳥我身ばかりに降雨か
此辺にては、今降もしぐれといふ。
人に見し時雨をけふはあひにけり
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「雪車」は織間由水の子、織間専車。栗庵似鳩の門人。似鳩の紹介で高桑蘭更にも師事。 |
上州堺町
| 栗庵似鳩門 | 折間安左衛門 | 雪車
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寛政7年(1791年)2月、専車没。
寛政12年(1800年)6月21日、由水没。
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