


| 子持山淡き夕月 |
| 母眠る舒林寺の丘 |
| ふるさとの花静かなり |
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詩碑の形は夕月をイメージしたものだと思われるが、子持山に懸かる夕月は満月ではなく、「糸のやうなみかづき」だと思う。 林柳波(りゅうは)は明治25年(1892年)群馬県沼田市生まれる。本名は照壽(てるとし)。13歳の時、兄を頼って上京。大正7年(1918年)鈴木三重吉が『赤い鳥』創刊、これを契機に童謡運動が盛んになると、柳波は代表的童謡詩人として知られる野口雨情の影響で詩作を行うようになった。 |

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若山牧水は大正11年「みなかみ紀行」の旅に奥利根を訪れた。友人との別れに際し、番傘に酔筆をはしらせた。その複製を歌碑とする。 牧水会發起人代表生方誠の遺志により当山に建立す。 |
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番傘の歌碑建立の会識 |
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大正11年(1922年)、10月25日、老神温泉に泊まる。翌朝立とうとすると、ひどい雨。K−君は飛び出して番傘を買ってきた。 |
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起きて見ると、ひどい日和になっていた。 「困りましたネ、これでは立てませんネ」 渦を巻いて狂っている雨風や、ツイ渓向うの山腹に生れつ消えつして走っている霧雲を、僅かにあけた雨戸の隙間に眺めながら、朝まだきから徳利をとり寄せた。止むなく滞在ときめて漸くいい気持に酔いかけて来ると、急に雨戸の隙が明るくなった。 「オヤオヤ、晴れますよ」 そう云うとK−君は飛び出して番傘を買ってきた。 |

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牧水の歌碑は全国で130余あり、大悟法利雄氏が克明に数を調べているが、この碑は133番目に数えていると思う。
『沼田万華鏡』(第29号)「牧水利根の旅」 |
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『若山牧水歌碑インデックス』(榎本尚美・篁子共著)によれば、146番目の牧水碑である。 |
