2024年福 岡

旧安川邸〜孫文先生像〜
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安川敬一郎
(1849〜1934)

福岡藩士徳永省易の四男として生まれ、安川家の養子に入った。明治以降次兄松本潜と炭坑を経営し、若松を拠点に石炭の生産・輸送・販売を統合して事業を展開、地方企業家として成長した。日露戦争後には明治紡績、九州製鋼、黒崎窯業を設立して他業種に進出、戸畑に移り「地方財閥」に発展した。

北九州市戸畑区一枝の夜宮公園に「旧安川邸」がある。


 明治33年(1900年)4月、伊藤博文は建設中の八幡製鐵所を訪れる。記念写真には、安川敬一郎、麻生太吉、伊藤伝右衛門などが写っている。

 明治40年(1907年)、安川敬一郎は明治専門学校(現:九州工業大学)を戸畑に設立。

 大正2年(1913年)3月16日、孫文は北九州を訪問し、明治専門学校で講演を行い、旧安川邸に宿泊。

 大正6年(1917年)9月30日、九州製鋼株式会社設立。

 昭和9年(1934年)11月30日、安川敬一郎は85歳にて永眠。

 昭和38年(1963年)2月10日、北九州市誕生。

 令和5年(2023年)10月25日・26日、北九州市制60周年記念で藤井聡太竜王と伊藤匠七段の竜王戦七番勝負第3局が旧安川邸で行われた。



大座敷


孫文先生像


令和5年(2023年)11月12日、除幕式。呉為山制作。

左側から
   
右側から

   


重要文化財(建造物)
旧松本家住宅


 この建物は、わが国産業界の重鎮・松本健次郎(1870〜1963)の旧宅で、大規模な洋館と日本館、数棟の附属室からなる明治後期の典型的な貴紳住宅です。

 洋館の設計は、明治から大正にかけて數多くの作品を残している日本近代建築の先駆者・辰野金吾(1854〜1919)の主宰する辰野・片岡事務所が当たり、日本館の設計は、洋館の建築監督をした久保田小三郎が行いました。

 洋館の外観は、絵画的な建築洋式をとり、ハーフティンバー風の壁面とアールヌーヴォーの細部意匠にその特徴があります。

 日本館は、車寄玄関をもつ書院造りの建物で、大座敷・中央書院の2つの座敷をはじめ多くの居室があります。

 約1.3ヘクタールの広大な庭園の中に、静かなたたずまいをみせるこの和様併設の住宅は、当時のまま現存する全国唯一の例として貴重であり、特に洋館は、明治の洋風住宅の到達点を示す名建築として高く評価されています。

北九州市教育委員会

予約のない方、および見学のみの入場はお断りいたします。

美術の森公園へ。

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