2021年福 岡

小倉城〜白州灯台岩松翁記念塔〜
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北九州市城内に小倉城がある。


 昭和38年(1963年)2月10日、門司、小倉 、若松、八幡、戸畑の五市の対等合併を経て北九州市誕生。

小倉城内に白州灯台岩松翁記念塔があった。


平成12年(2000年)4月23日、岩松助左衛門 長浜郷土会建立。

あゝ白洲燈台


白洲燈台創建者 岩松助左衛門顕彰碑

 開門海峡の西口、響灘に浮かぶ白洲は、古来より海難事故が絶えず、多くの人命が奪われた西国第一の難所であった。企救郡長浜浦の人岩松助左衛門翁(1804〜72)は18歳で庄屋を継ぎ、以来41年間これを務めた。その功績から59歳にして小倉藩より海上の御用掛「海難船支配役」を命じられた翁は、海難防止のため自力でこの難所に燈籠台(燈台)建設を志した。幕末動乱の世情の中、私財を投げ出し、その上莫大な借金を背負い千辛萬苦の日々であったが、「不立腹」を胸に、燈台建設への執念は消えることなく、苦節8年、明治3年基礎工事を完成させた。その後事業は明治新政府に引き継がれ、明治6年9月西洋式燈台として完成。しかし翁は前年の明治5年4月25日不帰の人となり、自らの情熱を傾けた燈台の点灯を見ることはなかったのである。「世のため 人のため」の信念を貫き通した翁の人道的精神は、海原遥か照らす白洲燈台の一条の灯りとともに、我々に遺された貴重な財産として永久に消えることはない。

岩松助左衛門 長浜郷土会

 大正7年(1918年)、吉岡禅寺洞は清原枴童らと「天の川」を創刊、横山白虹は「天の川」に参加して編集を担当。

横山白虹の句碑


 平成7年(1995年)11月11日、俳誌「自鳴鐘」・北九州文化連盟一同建立。

碑面を拡大。


霧青し
 双手を
人に差し
  のばす

横山白虹
1899−1983

九大医学部卒。医学博士。
昭和初期の新興俳句運動に挺身。
俳誌「自鳴鐘」創刊、主宰。
現代俳句協会会長。
小倉市議会議長、五市合併特別委員長等を歴任。北九州文化連盟創設、会長。北九州市栄誉功労者として表彰さる。

JR門司港駅の和布刈(ママ)神事像台座に横山白虹の句が刻まれている。

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