2021年福 岡

九州大学病院〜久保猪之吉〜
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福岡市地下鉄箱崎線「馬出九大病院前」下車。

馬出九大病院


正門を入ると、左手に久保通りがある。


久保猪之吉
1874〜1939

 東京帝国大学卒業(明治33年)。ドイツに多年留学しキリアン教授の元で研鑽に努めた。帰国後、本学耳鼻科初代教授となり、日本耳鼻咽喉科学会の創説に関わり、世界医学会議の日本代表として活躍した。教育・研究・臨床に新しい体制を啓き、後継者輩出の学風を興した。また短歌に秀で、文壇でも名声高かった。

外来者専用駐車場の隅に久保猪之吉先生の像があった。


 明治40年(1907年)、久保猪之吉帰国。福岡医科大学教授となる。

 明治45年(1912年)、長塚節は喉頭結核を患い、久保猪之吉博士のもとで治療を続けたが、大正4年(1915年)、その甲斐もなく37歳で亡くなった。

 大正7年(1918年)9月、郭沫若は旧制第六高等学校から九州帝国大学医学部に進学。

 大正9年(1920年)8月12日、斎藤茂吉は雲仙で久保猪之吉博士の診療を受ける。

 大正10年(1921年)3月17日、斎藤茂吉は長崎から東京へ向かう途中で久保教授を訪れている。

 大正11年(1922年)3月24日、高浜虚子は久保博士を訪ねた。

 大正12年(1923年)3月31日、郭沫若は医学士で卒業。

 昭和14年(1939年)11月12日、64歳で没。青山墓地に埋葬される。

久保猪之吉の歌碑


霧ふかき
南独逸の
朝の窓
おぼろに
うつれ
故郷の山

昭和35年(1960年)5月、建立。

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