製鉄所遠望 ・夜どほし燃やす火の燃えてさかる
『道中記』 |
八幡東区の長崎街道は全長6.5kmで、長崎街道の史跡としては、前田と荒生田(あろうだ)の一里塚、三条の国境石、清水の水場があります。また、史跡は残されていませんが、荒生田には小笠原藩の番所跡や、板櫃川の「徒渡り」などが長崎街道の名残をとどめています。 |
江戸時代には五街道と脇街道があり、長崎街道は九州で唯一の脇街道でした。57里(約240km)のこの街道には25ヶ所の宿場があり、このうち福岡藩内の黒崎、木屋瀬、飯塚、内野、山家、原田の各宿は筑前六宿とよばれ、大変な賑わいをみせました。 長崎街道は当時鎖国体制の日本で、唯一外国との文化交流や通商の窓口であった長崎から、西洋の文化や新しい技術などを日本に伝える文明の道として重要な役割を果たしていました。参勤交代の大名や長崎奉行だけでなく伊能忠敬、シーボルトのほか象や孔雀等の動物もこの長崎街道を通りました。 |