旅のあれこれ


シーボルトゆかりの地

 文政6年(1823年)7月、オランダの商館医員として長崎に到着。

 文政7年(1824年)、長崎の鳴滝に塾を開く。

 文政9年(1826年)正月、商館長と共に江戸へ向かい、2月16日、彼杵「庄屋」に泊まる。3月4日、日本橋の長崎屋に止宿し、4月12日出発するまでの間、江戸の蘭学者に面接指導し大きな影響を与えた。

 文政10年(1827年)5月6日、楠本滝との間に娘イネをもうける。

 文政11年(1828年)7月、シーボルトは江戸参府から出島に帰還。

 文政11年(1828年)9月17日、シーボルト台風。

 文政11年(1828年)、シーボルト事件が発生し、12月に日本から追放された。

 安政5年(1858年)、日蘭修好通商条約が結ばれ、シーボルトに対する追放令も解除された。

 安政6年(1859年)、オランダ貿易会社顧問として再来日。

 安政6年(1859年)、娘楠本イネと再会。

 文久元年(1861年)、幕府に招かれ外交顧問に就く。

 文久2年(1862年)5月、長崎から帰国する。

 1866年10月18日、ミュンヘンで風邪をこじらせ敗血症を併発して死去。

 明治2年(1869年)、大村益次郎は出張先の京都で不平士族に襲撃され、重傷を負う。楠本イネの看護を受けたが、敗血症により死亡。

シーボルト胸像

あかつき公園(東京都中央区)

常盤橋

(福岡県北九州市)

「長崎屋」

内野宿(福岡県飯塚市)

元禄船着場跡

(長崎県東彼杵郡東彼杵町)

出島和蘭商館跡

(長崎県長崎市)

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