2019年〜愛 媛〜
雄郡神社〜正岡子規の句碑〜

松山市小栗に雄郡神社がある。

松山の八社八幡の四番社。祭神は、天宇受売命と八幡三神(品田和気尊、帯中日子尊、息長帯姫尊)である。
『伊予古蹟志』に「小栗の邑に国社あり、正八幡宮(雄郡神社)と曰ふ。用明天皇の元年9月5日、宇佐の神を移し祭る。社前に調馬場を置、古き流鏑馬射祭の地なり。」とある。
慶長5年(1600年)関が原の戦いのとき、河野家遺臣と毛利勢が攻め寄せてきて、加藤嘉明の家老佃十成(かずなり)が迎え討ったとき、兵火が当社にも及んで社殿社宝古文書を焼失した。
昔から鎮守の森と呼び、人々は神社の樹林を大切にしてきた。当社の樹林も、かつてのうっそうとした樹林とは比べるべくもないが、地域の人々に守られて、松山市指定の景観樹林保護地区となり、二代目の「左馬殿の松」も育っている。社宝には、『絵馬雄郡神社前景図』(万延)『左島雨乞いの図』(安政)がある。
松山市教育委員会
雄郡神社の境内に正岡子規の句碑が2基あった。

御所柿尓小栗祭の用意かな
昭和47年3月1日、建立。
明治28年10月7日、今出(いまづ)の霽月を人力車で訪れる途中、雄郡神社で詠んだ句。
「御所柿」の句は、「病餘漫吟」(明治28年)に「御所柿にいそぐ祭の用意哉」とある。また有名な「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」の柿も御所柿で、子規の好物の一つであった。
『散策集』には「雄郡祭の」とある。
この碑の右隣に次の句碑もある。

うぶすなに幟(のぼり)立てたり稲の花
昭和49年106日建碑。
雄郡神社は正岡家の氏神さま(うぶすな)でもあった。
松山市教育委員会
『俳句の里 松山』
『寒山落木 巻四』(明治二十八年 秋)に収録。
2019年〜愛 媛〜に戻る
