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今から約千年前、平安後期の武将源義家(八幡太郎ともいわれ陸奥守鎮守府将軍)は、奥州の豪族が反乱を起した際に、朝廷の命を受けて、追討のため下向の途次、当神社に参詣して、戦勝を祈願し、その戦役が鎮定しての帰途再び当神社に詣でて、乗馬及び馬具を奉献して、神恩に報謝した。その古い記録に基づいて、この度、先年社殿を葺替えた際の古銅を以って、この神馬を鋳造しました。 |
山上憶良の歌碑

銀も
金も玉も
何せむに
まされる宝
子にしかめやも
西望書
『万葉集』(第5巻)収録の歌である。
歌碑に寄せて
万葉集の歌人山上憶良は「白銀金も玉石も何としょう。すぐれた宝も子に及ばない」と子を思う親の心を表した名歌です。長崎の平和公園の平和像の制作者北村西望先生が当社のために101才のときに書いて下さったものです。
「子育ての神様でございます、お諏訪様」に相応しい歌なので碑を建てました。 |
昭和62年(1987年)3月4日、北村西望は102歳で没。
平成6年(1994年)、雨宮敬子は日本芸術院会員となる。
随身門

随 身
平成17年(2005年)、御鎮座1200年を記念して建立。雨宮敬子制作。
令和元年(2019年)7月31日、雨宮敬子は88歳で死去。 |
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