牧水ゆかりの地
戸倉温泉
戸倉上山田温泉の「笹屋ホテル」には若山喜志子、若山牧水、太田水穂3人の短歌が彫られた石版があり、拓本をさせてくれる。3人が「笹屋ホテル」に泊まった時に書き残した歌を石版に彫ったそうだ。だからそれぞれの直筆ということである。 |
千曲川西岸に戸倉温泉と上山田温泉。東側に新戸倉温泉があり、総称して戸倉上山田温泉と呼んでいるそうだ。 |
牧水は大正14年5月31日の手紙に「小生、この6月の3日から信州の方へまたたびに出ます、牧水夫婦づれでです、」と書いている。この時のことであろう。 |
ふるさとの信濃なるかもいまぞわが千曲の川の長橋わたる | 若山喜志子 |
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秋風の空晴れぬれば千曲川白き河原に出てあそぶかな | 若山牧水 |
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ひとときに霜葉をおとす木を見ればきたりし冬のまのあたりなり | 太田水穂 |
牧水の歌は第4歌集『路上』に「9月初めより11月半ばまで信濃国浅間山の麓に遊べり、歌96首」の1首として収録されている。「信濃国浅間山の麓」とは小諸のことである。だから牧水の歌碑は小諸のチェリーパークラインにもある。 『路上』は第3歌集『別離』に続く歌集で、明治44年9月12日博信堂書房より発行された。明治43年1月から44年5月までの作約500首をあつめていると書いてある。 明治44年(1911年)7月頃、牧水は歌人太田水穂の家で太田喜志子と出会う。12月、喜志子は塩尻市広丘の実家に帰る。 明治45年(1912年)3月26日、牧水は信州の麻績に行き、歌会を開く。そこで太田喜志子と再会した。 同年4月2日、牧水は太田喜志と会い、結婚を申し込む。この時、喜志は妹の喜利を伴う。 |
同年5月5日、太田喜志子と結婚。太田水穂は仲人をつとめた。 |