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『小倉百人一首』の伊勢大輔の歌に「いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほいぬるかな」がある。 |
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一条院の御時、奈良の八重桜を人のたてまつり て侍けるを、そのお(を)り御前に侍ければ、その 花をたまひて、歌よめとおほせられければよ める
伊勢大輔
いにしへの奈良のみやこの八重ざくらけふ九重ににほひぬるかな
『詞花和歌集』(巻第一) |
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奈良の都は、約70年間に元明・元正・聖武・孝謙・淳仁・称徳・光仁の七代の天皇が続いた。 奈良の諸宗では、金堂・講堂・塔・鐘楼・経蔵・食堂(または中門)・僧坊を七堂という。 |
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「奈良は七代七十余年の帝都で、七堂伽藍が重畳と立ち並んだ古いお寺も多い。そこには昔から和歌によまれた八重桜が今も咲き誇って、まことに立派な古都である」の意。 上五が柔らかく、中七が強く豪壮に、下五が優しく、また母音aが九回も繰り返されて全体が音楽的な諧調備えている。「七」と「八」とを対応させ、全体が名詞だけで成り立っている表現も特異な技巧である。『詞花集』の「いにしへの奈良のみやこの八重桜けふここのへににほひぬるかな」(伊勢大輔)を心に置いた発想であるが、年代の古い『続山井』(寛文七年刊・湖春編)に「名所(などころ)や奈良は七堂八重桜―如貞」、『大井川集』延宝二年成・維舟編)に「奈良の京や七堂伽藍八重桜―元好」などがあり、芭蕉作と認めるにしても芭蕉独自の句境とはいえないものがある。 |
