「紅梅の咲いている家に、美しい簾がひっそり垂れていて、中に佳人が奥ゆかしく住んでいそうな気配である。その見えない主に対しtrしきりに心惹かれるものを感ずる」の意。
「紅梅」・「玉すたれ」の道具だてが、いかにも平安朝的な「見ぬ恋」の雰囲気を醸し出すのに成功している。「粽結ふ片手にはさむ額髪」と童謡、「物語等の句」(去来抄)であり、芭蕉之一面をうかがうに足りる。ただし虚構の恋の情緒であるから、内から盛りあがる迫力には乏しい。謡曲『鸚鵡小町』の「雲の上はありし昔に変らねど見し給だれの内ぞゆかしき」あたりが思い合わされていよう。
|
天保11年(1840年)10月、芭蕉の百五十回忌に平松喜春建立。
|
芭蕉翁在世の頃より、国府の里に白井梅可なる者ありて東海の街往返のをりをり杖をとゞめたまひぬ。曽て湯谷紅梅の高吟あり。其真蹟予か家に蔵せり。さきに米林下ぬし二見の屋なる鷺坂に陽炎塚を営む。こたひまた紅梅の一句を石に鐫てかく翁の勳跡なる事を那かく不朽に伝へ、今茲天保癸卯冬十月一日百五十回の追福に伝ふることしかり。 |
白井梅可は国府の豪商白井長右衛門。別号五老斎。
正徳2年(1712年)、没。
西明寺に墓があるそうだ。
西明寺参道入口に陽炎塚がある。
芭蕉の句碑〜愛 知〜に戻る
