芭蕉の句
清滝や波にちり込青松葉
出典は
『笈日記』
(難波部)。
初案は「
清滝や波に塵なき夏の月
」、
落柿舎
滞在中の吟である。
群馬県高崎市の
普賢寺
に句碑がある。
清多藝也難三邇塵那幾夏能月
(きよたきやなみにちりなきなつのつき)
元禄7年(1695年)10月9日、大坂の病床で芭蕉が亡くなる3日前に改案。
九日
服用の後、支考にむきて、此事は去来にもかたりを
(お)
きけるが、此度嵯峨にてし侍る、大井川のほつ句おぼへ
(え)
侍るかと申されしを、あと答へて、
大井川浪に塵なし夏の月
と吟じ申しければ、その句
園女
が白菊の塵にまぎらはし。是もなき跡の妄執とおもへば、なしかへ侍るとて、
清滝や波にちり込青松葉 翁
『笈日記』
清滝や浪にちりなき夏の月
ばせを
先師、難波の病床に
予
を召て曰、「頃日
(このごろ)
園女が方にて、「
しら菊の目にたてゝ見る塵もなし
」と作す。過し比ノ句に似たれば、清滝の句を案じかえ
(へ)
たり。初の草稿、野明がかたに有らん。取てやぶるべし」と也。然ども、はや集々にもれ出侍れば、すつるに及ばず。名人の、句に心を用ひ給ふ事しらるべし。
『去来抄』
大井川波に塵なし夏の月
清瀧や波に塵なし夏の月
清瀧の水汲寄てところてむ
清瀧や波にちりこむ青松葉
蓼云、この句は祖翁難波の病床に去来をめして「此程園女亭にて「しら菊の目にたてゝ見る塵もなし」と云る句にこゝろかよひて亡執のひとつなり」とて青松葉に吟しかへ給ふよし、去来集に見へたり
『芭蕉句解』
群馬県沼田市の
「まちこ茶屋」
千葉県我孫子市の
滝前不動尊
福井県大野市の
清瀧神社
京都府京都市の
清滝
高知県土佐市の
清滝寺
に句碑がある。
清滝寺の句碑
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