芭蕉の句


名月や北国日和定なき

出典は『奥の細道』。

元禄2年(1689年)8月15日(陽暦9月28日)、敦賀で詠まれた句。

その夜、月殊晴たり。あすの夜もかくあるべきにやといへば、越路の習ひ、猶明夜の陰晴はかりがたしと、あるじに酒すゝめられて、けいの明神に夜参す。仲哀天皇の御廟也。社頭神さびて、松の木の間に月のもり入たる。おまへの白砂霜を敷るがごとし。往昔遊行二世の上人、大願発起の事ありて、みづから草を刈、土石を荷ひ泥渟をかはかせて、参詣往来の煩なし。古例今にたえず。神前に真砂を荷ひ給ふ。これを遊行の砂持と申侍ると、亭主かたりける。

月清し遊行のもてる砂の上

十五日、亭主の詞にたがはず雨降。

名月や北国日和定なき

『奥の細道』

「亭主」は出雲屋の主人弥一郎。

 新潟県見附市の念故寺

 福井県福井市の足羽公園、敦賀市の杉津PA、小浜市の妙楽寺

 岐阜県大垣市のミニ奥の細道に句碑がある。

妙楽寺の句碑


 氣比神宮の「ライオンズクラブ国際協会第42回年次大会記念碑」にも刻まれている。



芭蕉翁月五句

国々の八景更に氣比の月
月清し遊行のもてる砂の上
ふるき名の角鹿や恋し秋の月
月いつく鐘は沈る海の底
名月や北国日和定なき

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