2014年青 森

円覚寺〜菅江真澄の道〜
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深浦町深浦字浜町に円覚寺という寺がある。


 深浦にても有志者歓迎会を開けり。鰺ヶ沢以南第一に位する小市街也。奇巌に擁せられて、海水深く浸入す。鰺ヶ沢よりも前に開けたる港なるべし港なるべしと思はる。老樹深き処、円覚寺に詣でたるが、仁王門さへありて、思ひの外に観音堂の大なるに驚く。先の住持の遺作を見て、更に驚く。八万四千人の髪を集めて刺繍したる涅槃像、さても非凡の精力なる哉。

「陸奥の海岸線」(松神の百沼)

円覚寺山門


円覚寺(真言宗醍醐派)

 本寺は大同2年(807年)に坂上田村麻呂が聖徳太子作十一面観音像を安置し、創建したと伝えられる。貞観10年(868年)に円覚法印により再興され、その後、豪族や弘前歴代藩主の厚い庇護を受けていたことが文献等に記されている。

 海上交易が盛んになると海上の安全を祈願する船乗りが数多く参詣し、船絵馬や髷額を奉納して澗口観音として信仰を集めた。これらは室町時代初期の作と言われる薬師堂内厨子とともに国の文化財に指定されている。

深浦町教育委員会

菅江真澄の道(春光山圓覚寺)

 春光山圓覚寺(「深浦の観音様」「澗口の観音」)寛政8年(1796年)7月16日、椿山見物に出立する真澄は、「飛騨の工等が建て」たお堂を拝観する(「外ヶ浜奇勝」)。これが現在国重文指定「薬師堂内厨子」。

 寛政9年(1797年)2月10日(「つがるのおち」)、この寺で語り暮らした真澄は、「春雪にふり埋れたる雪の梢」を眺めて次の一首を詠む。

   木々の芽も春の光のやまのはは花とみゆきの霧も長閑かさ

円覚寺本堂


この磯辺の澗口(マクチ)の観世音にまうでて人にとへば、かゝる堂のうちにをさめたるは、厩戸の皇子の、みてづから作らせ給ふたるを、坂上大宿禰田村麻呂の、ゑみしらがおごりたるを、むけたひらげ給ひしころ、この吹浦に置たまふとなん。小阪の右なるちいさき堂こそ、斐陀の工等が建て、智證ぜじのつくり給し薬師ぶちなんこゝにておはしませりと、いらへぞせりけるにしりき。

   磯の浪うつ墨縄のながき世をかけてたくみが名さへくちせぬ

『外浜奇勝』(そとがはまきしょう)

十日 春光山といふ観世音の堂も、春雪にふり埋れたる雪の梢を、円覚院のうばそくがやどよりうち見やる。

   木々の芽も春の光のやまのはは花とみゆきの霧も長閑さ

『都介路廼遠地』(つがろのおち)

昭和19年(1944年)、太宰治は円覚寺のことを書いている。

駅からまつすぐに一本路をとほつて、町のはづれに、円覚寺の仁王門がある。この寺の薬師堂は、国宝に指定せられてゐるといふ。私は、それにおまゐりして、もうこれで、この深浦から引上げようかと思つた。完成されてゐる町は、また旅人に、わびしい感じを与へるものだ。

『津軽』

リゾートしらかみ3号「青池」に乗る。

2014年青 森