旅のあれこれ
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平野国臣ゆかりの地

明治維新の礎となった福岡の志士

 文政11年(1828年)3月、福岡の地行下町(中央区今川1丁目)で生まれる。

 天保12年(1841年)、足軽鉄砲頭小金丸彦六の養子になる。

 弘化2年(1847年)、黒田藩普請方手附として任官。

 安政4年(1857年)、妻子はもとより仕官等の一切の束縛を断ち切り、名前を國臣に改名。

 安政5年(1858年)、幕末動乱の世を案じ国家統一・勤皇の志を抱いて脱藩。

 安政5年(1858年)、勤皇僧月照を薩摩に送り届ける。月照と西郷隆盛は錦江湾に入水。同船の國臣が救助して西郷隆盛は蘇生。

 万延元年(1860年)12月、下関の白石正一郎邸へ移る。

 文久2年(1862年)、藩主の上洛阻止の罪で桝木屋の牢に捕らわれる。

 文久3年(1863年)、朝旨により禁固を解かれ福岡藩藩命により重役補佐役で上洛する。

 文久3年(1863年)10月、但馬生野で討幕挙兵するも失敗。京へ護送され六角獄舎に繋がれた。

 元治元年(1864年)7月、禁門の変の際、京都六角獄にて斬首されたる。享年37。

蛤御門

(京都市上京区)

平野二郎國臣像

西公園(福岡県福岡市)

平野神社〜平野國臣誕生之地〜

(福岡県福岡市)

南州寺〜僧月照〜

(鹿児島県鹿児島市)

平野国臣の歌碑

有村溶岩展望所(鹿児島県鹿児島市)

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