宮沢賢治ゆかりの地
雨ニモマケズ詩碑
花巻温泉から県道37号を東に行き、国道4号(陸羽街道)を南に行き、花巻空港の先を東に行き、北上側を越えて、国道456号を南に行く。 |
花巻には宮沢賢治の詩碑がたくさんあるが、賢治といえば、やはり「雨ニモマケズ」だろう。「雨ニモマケズ」の詩碑は羅須地人協会跡にある。現在、羅須地人協会の建物は花巻農業高等学校に移転されている。羅須地人協会跡は国道4号(陸羽街道)に戻って、さらに南に行くのだが、なかなか見つからなかった。 |
大正15年(1926年)3月、宮沢賢治は花巻農学校を30歳で退職し、羅須地人協会を設立して理想の実現にいどんだ。同年12月、上京して、高村光太郎を訪ねている。 昭和8年(1933年)9月21日、賢治は37歳の若さで亡くなる。手帳に昭和6年(1931年)11月3日の日付で「雨ニモマケズ」が書かれていた。 雨ニモマケズ詩碑は賢治没後3年目、昭和11年(1936年)に建てられた。碑面には高村光太郎の揮毫で「雨ニモマケズ」後半部分が刻まれている。さらに昭和21年(1946年)に「光太郎記」の4字を光太郎が自ら書き込んだ。当時光太郎は花巻で山小屋生活をしていた。 |
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ |
東ニ病氣ノコドモアレバ行ツテ看病シテヤリ |
西ニツカレタ母アレバ行ツテソノ稻ノ束ヲ負ヒ |
南ニ死ニサウナ人アレバ行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ |
北ニケンクワヤソシヨウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒ |
ヒデリノトキハナミダヲナガシサムサノナツハオロオロアルキ |
ミンナニデクノボウトヨバレホメラレモセズクニモサレズ |
サウイフモノニワタシハナリタイ |