大正15年(1926年)3月、宮沢賢治は花巻農学校を30歳で退職し、羅須地人協会を設立して理想の実現にいどんだ。同年12月、上京して、高村光太郎を訪ねている。
昭和8年(1933年)9月21日、賢治は37歳の若さで亡くなる。手帳に昭和6年(1931年)11月3日の日付で「雨ニモマケズ」が書かれていた。
雨ニモマケズ詩碑は賢治没後3年目、昭和11年(1936年)に建てられた。碑面には高村光太郎の揮毫で「雨ニモマケズ」後半部分が刻まれている。さらに昭和21年(1946年)に「光太郎記」の4字を光太郎が自ら書き込んだ。当時光太郎は花巻で山小屋生活をしていた。
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野原ノ松ノ林ノ蔭ノ小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
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東ニ病氣ノコドモアレバ行ツテ看病シテヤリ
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西ニツカレタ母アレバ行ツテソノ稻ノ束ヲ負ヒ
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南ニ死ニサウナ人アレバ行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ
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北ニケンクワヤソシヨウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒ
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ヒデリノトキハナミダヲナガシサムサノナツハオロオロアルキ
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ミンナニデクノボウトヨバレホメラレモセズクニモサレズ
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サウイフモノニワタシハナリタイ
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昭和15年(1940年)6月12日、北原白秋は雨ニモマケズ詩碑を見に行った。 |
詩碑はその住居の跡で小さな臺地に新しく建てられてゐた。碑銘はその詩の中より高村光太郎君が選ばれたものを彫つてあつた。
「初夏東北行」 |
飯坂温泉に向かう。
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