高村光太郎ゆかりの地

花 巻〜高村山荘〜
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花巻の観光は宮沢賢治だけだと思っていたら、地図に「高村山荘」というのがあった。「高村山荘」だけでは分わからないが、側に「智恵子展望台」というのがあるので、高村光太郎ゆかりの地だと思い、立ち寄ることにした。 |
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昭和8年(1933年)、宮沢賢治は37歳で亡くなっている。 昭和13年(1938年)、智恵子は52歳で亡くなる。 |
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朝早いので、まだ誰もいない。「高村山荘」とは、どんなところか、ちょっと見るだけ、と思ったが、係りのおばさんがやってきて、「お待たせしました。」と言う。入らないわけにはいかなくなった。「高村山荘」は「高村記念館」「花巻市歴史民族資料館」と併せて入館料550円。 |
| 昭和20年(1945年) | 4月13日、空襲により高村光太郎のアトリエ炎上。 |
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| 5月15日、宮沢賢治の弟である宮沢清六方へ疎開。 |

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ずいぶん大きな山荘だと思ったら、昭和52年(1977年)に建てられた第二套屋だった。中に昭和33年(1958年)に建てられた套屋があり、さらにその中に粗末な小屋がある。鉱山の飯場小屋を移築したものだそうだ。 昭和20年(1945年)8月10日、宮沢家も戦災に遭う。光太郎は10月から、この小屋で農耕しながら一人で暮らした。 |

| 「雪白く積めり」は、昭和20年(1945年)12月23日 、山小屋生活で最初に迎えた冬の作詩だそうだ。 |
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昭和26年(1951年)、加藤楸邨は花巻に高村光太郎を訪ねる。 昭和54年(1979年)7月1日、花巻へ行き、高村山荘を訪ねる。 |
