幸田露伴ゆかりの地

幸田露伴の句碑
塩鮭のあ幾と風ふく寒さかな

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明治・大正・昭和の3代に渡って文筆活動を続け、日本近代文学史上に大きな足跡を残した文豪幸田露伴(本名幸田成行)は、慶応3年(1867年)7月、当時の江戸下谷に生まれた。 明治17年、東京電信修技学校を終了した露伴は1年間の実習を終えて、翌18年7月、判任官逓信省十等技手として余市電信分局勤務を命ぜられる。 ニシンの千石場所として活気に溢れていたこの地で、露伴は2年間の青春時代を送る。この間、北国の風物に触れ、「余市春望」「余市八勝」等の漢詩を詠む。しかし、任期を2年ほど残した明治20年8月25日、露伴は突然職を投げ打ち、東京へと向かって出立する。帰京の途中、「里遠しいざ露と寝ん草まくら」の句を得たが、「露伴」の号はこの句によるものとされている。 帰京後本格的に執筆を開始した露伴は、尾崎紅葉、坪内逍遥、森鴎外と並んで「紅露逍鴎」と称されて一時代を画し、昭和22年に没するまで息の永い文筆活動を続けた。代表作に「五重塔」「運命」「幻談」などがある。 句碑は、露伴が勤務していた余市電信分局近くの北海道立中央水産試験場前庭に余市郷土研究会が建立。シリパ山より自然石を運んで台座とした。 文豪露伴の足跡を今に伝えるものとして余市町文化財に指定し、永く後世に継承するものである。
北海道余市町教育委員会 |

