幸田露伴ゆかりの地

幸田露伴の句碑

里遠しいざ露と寝ん草まくら
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二本松市亀谷の亀谷坂を上る。


頂上付近に幸田露伴の句碑があった。


里遠しいざ露と寝ん草まくら

ペンネーム「露伴」誕生ゆかりの地・にほんまつ

 第1回文化勲章受章者で、著書『五重塔』などで知られる明治〜昭和の代表的な文豪・幸田露伴(本名・成行)は、20歳になって文学を志し、電信技手として赴任していた北海道余市から上京の旅に出ました。

 明治20年(1887年)9月28日の日暮れ近く福島に到着、ここで1泊すると乗車賃が不足する(当時東北本線は郡山まで開通)、夜中歩いて郡山まで行こうと決め出発、飲まず食わずで二本松に来たのは夜半近くでした。

 街は提灯祭り(当時は新暦9月でした)で賑わう中、懐中わびしながらも亀谷坂の頂上の阿部川屋で餅を買い、食べながら歩いたものの、体力、気力も限界すでに限界でした。

 道端に倒れ込み、こうもり傘を立て野宿を決意、いつか野たれ死にをする時が来たら、きっとこんな状態だろうと思案し、口をついて出た句が

里遠しいざ露と寝ん草まくら

でした。2年後、文壇初登場の時、二本松で露を伴にした一夜が忘れられず、発奮の意味をこめて、この句からペンネームを「露伴」にしたと日記などで後述しています。

 他に「蝸牛」「脱天子」など多数の雅号を持つ露伴でしたが、文学を志した熱い想いと苦難の突貫道中を忘れぬよう、ペンネーム「露伴」を生涯大切にしたと言われています。

高台の観音堂に芭蕉の句碑がある。

観音丘陵遊歩道を歩く。

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