2013年青 森

龍飛岬歌謡碑〜「津軽海峡冬景色」〜

「北のはずれ」の龍飛岬へ。


本州最北端は大間崎である。

明治40年(1907年)5月19日、河東碧梧桐は龍飛岬を訪れた。

 五月十九日。半晴。烈風。

 龍飛岬は蝦夷の白神岬と相対しておる津軽半島の最北端である。ゆうべから吹きやまぬシカタという西南の風は、ここを目あてに吹くのかとも疑われる。家におれば坐が揺れる、外に出れば足をすくわれる。朝から昼から晩とだんだんに吹き募る。


 昭和41年(1966年)8月23日、星野立子は龍飛岬へ。北海道が見えた。

 八月二十三日 快晴 岬の先に立つ

秋晴の風なき竜飛珍しと

秋潮にわが影移る朝日かな

秋蝶のくつきりと見え波の上

 遙かに見える島は北海道とのこと。潮流がこの高い岬からよくそ
れと見える。


 平成元年(1989年)6月6日、金子兜太はNHK青森支局のつくる<「芭蕉が・青森へいったならば>のロケで龍飛岬へ。

 龍飛岬へ。三厩の義経寺。風募る。岬の燈台のところで終りを。ポイントで不思議に晴れる。

   夏草や西風(にし)吹きあげて蝦夷は見え

とやる。小松さん、書きとめの手帳をとじて終る。

『金子兜太戦後俳句日記』

津軽海峡冬景色歌謡碑


作詞 阿久悠 作曲・編曲 三木たかし

上野発の 夜行列車 おりた時から 青森駅は 雪の中
北へ帰る 人の群れは 誰も無口で 海鳴りだけを きいている
私もひとり 連絡船に乗り こごえそうな 鴎見つめ 泣いていました
ああ 津軽海峡 冬景色

ごらんあれが 竜飛岬 北のはずれと 見知らぬ人が 指をさす
息でくもる 窓のガラス ふいてみたけど はるかにかすみ 見えるだけ
さよならあなた 私は帰ります 風の音が 胸をゆする 泣けとばかりに
ああ 津軽海峡 冬景色

さよならあなた 私は帰ります 風の音が 胸をゆする 泣けとばかりに
ああ 津軽海峡 冬景色

      歌 石川さゆり

記念写真を撮る人が多くて、なかなか写真が撮れなかった。

碑 文

 国際海峡である津軽海峡から三厩村は限りない恵みを受けてきた。また、風の岬とも云われる竜飛岬は世界一の海底トンネルの始まりの地でもある。

 そして今、龍飛岬には新しい風力エネルギー・ウインドパークが誕生し、斯界に名を高めている。

 三厩村は、このように津軽海峡、龍飛岬と共に生きてきた小さくても、逞しい村である。 そして、間もなく到来する新しい世紀に向け、さらに大きく羽ばたこうとしている。

 この小さな村の大きな心意気を広く内外に示すため村人は、津軽海峡と龍飛岬にゆかりのある不朽の名曲「津軽海峡冬景色」歌謡碑を、この地に建立した。

 願わくは、龍飛観光ゾーンのモニュメントになると共に、ここを訪れる旅人の心と村人の心をつなぐ交流のかけ橋になることを祈るものである。

   平成8年7月10日

「津軽海峡冬景色」歌謡碑は青森駅にもある。

龍飛埼灯台


〜風の岬灯台〜

 龍飛埼灯台は、対岸の白神岬灯台と共に海上交通の要衝である津軽海峡の西側玄関口に位置する重要な灯台であり、昭和7年(1932年)7月1日点灯して以来、船舶の安全航行に大きく寄与しております。

 これからも数多くの船人の命と貴重な財産を守るために、毎夜美しい光を沖行く船に投げ掛け続けるよう祈念するものであります。

平成18年(2006年)4月1日から無人化されたそうだ。

断崖に咲く獅子独活。


海上自衛隊竜飛警備所レーダー監視施設


当然のことながら、立入禁止。

 概して我國の太平洋に面する海岸は砂濱の連續なるが、日本海に面する海岸は斷崖の連續也。その日本海に面する本州の北に盡きむとする處、小泊岬よりその特徴を發揮して、その全く盡くる處、茲に龍飛岬となりて、北に突出す。頂上は草の山にて、望樓の跡あり、手を伸ばさば、北海道の山も攫み得られむとす。福山の市街も判然と見ゆ。

「陸奥の海岸線」(龍飛岬)

北海道は見えなかった。

フウロソウが咲いていた。


階段国道339号を下って太宰治文学碑へ。

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