種田山頭火は、自由律俳句(575にとらわれない)俳人で、全国的に人気があり、句碑も六百数十とたくさんある。
山頭火は、明治39年から大正5年までの10年間、大道の新舘で過ごした。この樽と釜は大林酒造場(種田酒造の後継)から譲り受け、平成8年5月18日に小屋と句碑が落成した。
ふるさと大道を掘り起こす会 |
大道時代の山頭火(主な出来事)
明治39年(1906年)25歳 |
父竹治郎家政に失敗、12月大道の山野酒造場を買い受け一家で八王子から移住する。 |
明治40年(1907年)26歳 |
種田酒造場を開業、父子で経営。八王子の生家すべて売却。 |
明治42年(1909年)28歳 |
8月、佐波郡和田村高瀬の佐藤光之輔の長女サキノと結婚。 |
明治43年(1910年)29歳 |
8月、長男健誕生。酒造業思わしくなく、父と折り合い悪く、結婚生活もうまくいかず、文芸活動にのめりこんでいき、無軌道な飲酒に溺れた。 |
明治44年(1911年)30歳 |
郷土文芸誌「青年」に参加。山頭火の号で翻訳その他を発表。
椋鳥句会会員となり、田螺公の号で定形俳句を発表。 |
大正2年(1913年)32歳 |
荻原井泉水に師事し、自由律俳誌「層雲」3月号に山頭火の号で初入選。 |
大正3年(1914年)33歳 |
「層雲」に73句載る。随筆・短文など多数載る。
田布施・防府に井泉水を迎え句会開催。防府俳壇の中心となる。 |
大正4年(1915年)34歳 |
広島の中国連合句会に参加。「層雲」に177句載る。
年末、酒造の酒が腐敗し経営危機に陥る。 |
大正5年(1916年)35歳 |
3月、「層雲」の選者となる。「層雲」に89句載る。
4月、酒造場倒産。父竹治は行方不明となり、山頭火は妻子と熊本へ移る。 |
JR山陽本線大道駅

JR宇部線新山口駅

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