私も方々へ巡礼の旅をしなければならない。この市をぐるっととりまいて、みずうみのかなた、山々のあなたに、いつからともなく古い神聖な場所があるから。 |
昭和5年(1930年)5月27日、与謝野鉄幹・晶子夫妻は宍道湖を訪れている。 |
船一つ松江大橋くぐるなり潮押されて痩せたるやうに みづうみは夜と定まれる刻になほ銀紅色の殘るものかな みづうみを消しはてんとは思はねど假に埋むる初夏の雨
「落葉に坐す」 |
昭和5年(1930年)11月、高浜虚子は宍道湖を訪れている。 |
一隻の小蒸汽が大川橋のほとりから出て來た。見ると乘客は餘りない。輕く波に浮んで沖の方に出て行く。あの船は何處へ行く船かと女中に聞くと、向ふ岸の何とかいふ港へ行くのだといふ。何時間位で其港へ著くのかと聞くと、八九時間かゝるでせうといふ。船はゆるゆると湖面を辷つて行く。飯をくひながら其船を見る。さきの蓑を著た船頭のゐた船は今は何處へ行つたか見えない。今は唯此小蒸汽が湖の景の中心を爲してをる。 この松江には不昧公の有名な茶室が殘つてゐるさうだ。また小泉八雲の舊居もあるさうだ。
「宍道湖」 |
昭和7年(1932年)10月8日、高浜虚子は宍道湖を畔を行く。 |
十月八日 松江。 宍道湖畔を行く。郷里松山あたりと同名の柿のたわゝになりたる 多し。 なつかしやさいじよう柿ときくからに
『句日記』 |
昭和34年(1959年)3月、山口誓子は松江を訪れている。 |
松 江 白魚火岸の燈明くなりし代に
『方位』 |
千鳥南公園には山口誓子の「鴨群れて浮くこれほどの奢りなし」の句碑があったそうだが、気付かなかった。 |