教へ子は古稀となれども |
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先生と呼びて訪ひ来ぬ |
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少年のごと梶谷覚先生 |
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小長井は山も人もよかった |
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句 昭和七年二月二十七日山頭火 |
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こゝに住みたい水をのむ |
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命ながきことの |
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喜び風薫る |
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塚原仁先生 |
二月廿七日 風雪、行程七里、多良(佐賀県)、布袋屋(三〇・中) キチガイ日和だつた、照つたり降つたり、雪、雨、風。…… 第二十二番の竹崎観音(平井坊)へ参拝。 今日はお天気が悪くて道は悪かつたけれど、風景はよかつた、山も海も、そして人も。 此宿はよい、まぐれあたりのよさだつた。 ・こゝに住みたい水をのむ |
昭和19年(1944年)11月21日、B29は零戦の体当たりによって小長井町井崎沖の海に墜落。 |
昭和十九年秋 |
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木下和郎 作 |
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わたしたちは やたらにわめき走りまくった |
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いっときもしゃべらずにはいられなかった |
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どんなにみごとに命中したか |
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銀の翼がどんなに輝いたか |
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いかに ゆっくり |
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落ちていったか |
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尾根を越え 部落を越えて 走ったのだ |
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みんなの証言は どこか すこしづつ |
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違っていた が |
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だれのことばも だれの言うことも |
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みんな信じられたのだ |
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尾翼だけが海面に突っ立っていた |
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トラックの上には すでに |
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引揚げられた飛行士がころがしてあった |
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どよめく群集に向って 髪の毛をつかみ |
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ぐいとあげられたその顔は 桜色の |
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少年のおもかげをもっていた |
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はじめて鬼畜をみた |
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やすらかな ねむりの姿勢だった |
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その頬に消防団員の平手がとんだ |
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わたしは少年飛行士となるはずだった |
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異郷の地に華と散るはずだった |
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わたしにはわたしのまぶたが |
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ぬれるようにかんじられた |
太平洋戦争の時、多良山麓上空を飛行していたアメリカの大型爆撃機B29が日本の戦闘機(零戦)の体当たりによって小長井町井崎沖の海に墜落しました。 この詩はその時のことがやさしく描かれています。 |
平成5年(1993年)、小長井町内の元石材販売業馬渡廣雄氏は所有地に鎮魂碑を設置。 |