2023年京 都

無鄰菴〜山縣有朋〜
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地下鉄東西線「蹴上」駅下車。

京都市左京区南禅寺草川町に無鄰菴(HP)がある。


 無鄰菴は、明治27〜29年(1894〜96)に明治・大正時代の元老山縣有朋が京都に造営した別荘である。その名は、有朋が長州(山口県)に建てた草庵が隣家のない閑静な場所であったことから名付けられたという。その後、有朋は、京都の木屋町二条に別荘を構え、無鄰菴と号したが、さらに新しい地に好みの別荘を作りたいと考え、明治27年(1894年)、現在の地に無鄰菴を営んだ。

 庭園は、有朋自らの設計・監督により、造園家・小川治兵衛(7代目)が作庭したもので、池泉を中心とした明治時代の代表的庭園である。建物は、簡素な木造2階建の母屋、薮内流燕庵を模してつくられた茶室および煉瓦造2階建の洋館の三つからなる。洋館は明治31年5月の建立であるが、2階には、江戸時代初期の狩野派による金碧花鳥図障壁画で飾られた部屋があり、ここで明治36年(1903年)4月21日、元老・山県有朋、政友会総裁・伊藤博文、総理大臣・桂太郎、外務大臣・小村寿太郎の4人によって、日露開戦直前のわが国の外交方針を決める「無鄰菴会議」が開かれている。今日でも、この部屋に、花鳥文様の格天井、椅子、テーブルなどの家具が残り、当時の趣を伝えている。

 有朋はこの別荘の庭園をこよなく愛し、多忙な公的生活の少しの合間にも夫人を伴ってしばしば訪れた。有朋は、大正11年(1922年)に83歳で亡くなり、その後、無鄰菴は昭和16年(1941年)に京都市に寄贈され、現在、同市の管理となっている。また、26年(1951年)には、庭園が国の「名勝」に指定されている。

木造2階建の母屋


2階建の洋館


庭 園


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