2023年山 口

山頭火ゆかりの樽〜種田山頭火の句碑〜
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山陽本線大道駅下車。

防府市大道に「山頭火ゆかりの樽」があるというので、行ってみた。


種田山頭火の句碑


酒樽洗ふ夕明り鵙がけたゝまし

大正3年(1914年)、「層雲」(12月号)所載の句である。

種田山頭火(1882〜1940)

 種田山頭火は、自由律俳句(575にとらわれない)俳人で、全国的に人気があり、句碑も六百数十とたくさんある。

 山頭火は、明治39年から大正5年までの10年間、大道の新舘で過ごした。この樽と釜は大林酒造場(種田酒造の後継)から譲り受け、平成8年5月18日に小屋と句碑が落成した。

ふるさと大道を掘り起こす会

大道時代の山頭火(主な出来事)

明治39年(1906年)25歳

父竹治郎家政に失敗、12月大道の山野酒造場を買い受け一家で八王子から移住する。

明治40年(1907年)26歳

種田酒造場を開業、父子で経営。八王子の生家すべて売却。

明治42年(1909年)28歳

8月、佐波郡和田村高瀬の佐藤光之輔の長女サキノと結婚。

明治43年(1910年)29歳

8月、長男健誕生。酒造業思わしくなく、父と折り合い悪く、結婚生活もうまくいかず、文芸活動にのめりこんでいき、無軌道な飲酒に溺れた。

明治44年(1911年)30歳

郷土文芸誌「青年」に参加。山頭火の号で翻訳その他を発表。

椋鳥句会会員となり、田螺公の号で定形俳句を発表。

大正2年(1913年)32歳

荻原井泉水に師事し、自由律俳誌「層雲」3月号に山頭火の号で初入選。

大正3年(1914年)33歳

「層雲」に73句載る。随筆・短文など多数載る。

田布施・防府に井泉水を迎え句会開催。防府俳壇の中心となる。

大正4年(1915年)34歳

広島の中国連合句会に参加。「層雲」に177句載る。

年末、酒造の酒が腐敗し経営危機に陥る。

大正5年(1916年)35歳

3月、「層雲」の選者となる。「層雲」に89句載る。

4月、酒造場倒産。父竹治は行方不明となり、山頭火は妻子と熊本へ移る。

JR山陽本線大道駅


JR宇部線新山口駅


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