2012年山 口

嚴島神社〜高杉晋作〜
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下関市上新地町に嚴島神社がある。


 安芸の嚴島神社の御分霊を平家の守護神として安徳天皇の御座船におまつりされていたが、壇ノ浦の合戦後磯辺に放棄されていたのを里人に神託があって「吾は嚴島姫の神也、早く祭るべし、かしこの磐之上にあり」と、不思議に思いながらそこに行って見ると、磯辺に御鏡太刀様の物を見つけ、文治元年(1185年)里人たちが社殿を建立し、更に安芸国嚴島神社より御分霊をあらためて勧請し、今日に至っております。

 嘉永2年(1849年)7月18日、吉田松陰は嚴島神社を参拝し、沿岸の防備体制を巡視した。

一、宿の近きにある嚴島の祠に拜し、直ちに日和山に登りて是を踰え、海濱へ出て、俗に身投岩に至る。此の處、會所の輕卒毎朝來りて、海洋中を望むと云ふ。

「廻浦紀略」

鼓楼


高杉晋作と大太鼓

 慶応元年(1865年)4月、徳川幕府は第二次長州征伐令を発し、翌2年(1866年)6月、大島口(山口県大島郡)・芸州口(広島県)・石州口(島根県)・小倉口(福岡県)の四境で戦いの火ぶたが切られた。この四境戦争での長州軍の勝利は討幕への重要な契機となったが、中でも高杉晋作が指揮する小倉口の戦闘は最大の激戦となり、長州軍は奇兵隊・報国隊の2隊を先鋒とし戦い、遂に慶応2年8月1日、幕軍総帥小笠原壱岐守が小倉城を脱出、小倉藩は自ら城に火を放って敗走した。攻め入った長州軍は余燼の中からこの太鼓を持ち帰り、高杉晋作が戦勝祈願を行った嚴島神社に奉納したのである。

嚴島神社


御祭神

天照大神の御子神

   市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)
   田心姫神(たごりひめのかみ)
   湍津姫神(たぎつひめのかみ)

社殿の裏に駐車場がある。

駐車場の片隅に芭蕉の句碑があった。


春も漸けしきとゝのふ月と梅

出典は『薦獅子集』(巴水編)。

 元禄6年(1693年)1月20日、深川芭蕉庵から大垣の木因に宛てた書簡にある。

木因は岐阜大垣の廻船問屋の主人。

『続猿蓑』(沾圃編)に収録。

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