2012年山 口

日和山公園〜高杉晋作の陶像〜

下関市丸山町の関門海峡を見降ろす丘の上に日和山公園がある。


 嘉永2年(1849年)7月18日、吉田松陰嚴島神社を参拝し、日和山を越えて沿岸の防備体制を巡視した。

一、宿の近きにある嚴島の祠に拜し、直ちに日和山に登りて是を踰え、海濱へ出て、俗に身投岩に至る。此の處、會所の輕卒毎朝來りて、海洋中を望むと云ふ。

「廻浦紀略」

日和山公園に高杉晋作の陶像がある。


 元治元年(1864年)12月15日、高杉晋作は七卿落ちで京を逃れた公卿のうち五卿を太宰府に移送すると知り、長州藩俗論派打倒のために功山寺で挙兵した。

昭和11年(1936年)、高杉晋作の銅像が建てられたが、戦時中に接収。

昭和31年(1956年)、高杉晋作没後90年を記念して陶製の像を再建。

西尾其桃の句碑があった。


春の日のきらめく蘭の葉尖哉

西尾其桃は本名弥三郎。医師。下関に開院。美濃派の俳諧を学ぶ。

明治元年(1868年)、明石で生まれる。

明治40年(1907年)、下関市岬之町で医院を開業。

昭和6年(1931年)、和歌山白浜で客死。

寺崎方堂は其桃を無名庵十七世と追号。

日和山公園の見晴らしは、よくなかった。

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