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1883年、廻船問屋出身の藤井能三が、船舶の安全確保を目的に設立した全国初の私立測候所。今も全国に日々気象データを提供している。 旧伏木測候所は、明治10年(1877年)、廻船問屋出身の藤井能三が、伏木港を大型汽船が接岸できる近大港湾とすべく私費で建設した燈明台(灯台)の一室に、明治16年(1883年)、全国初の私立測候所として設立されたものである。その後、明治42年(1909年)、現在地に移転し、県営、国営への移管を経て、現在に至るまで気象観測を続けている。 現建物は、平成17年(2005年)より、「高岡市伏木気象資料館」として公開されており、日本海側屈指の商工業都市として発展した高岡の経済を支えてきた伏木港、その近代化を象徴する建物である。 |

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(1846〜1913)66歳
藤井能三さんは明治時代の実業家で先見性に富んだ考えを持たれ、来るべき新しい時代の伊吹をいち早く捉えられ、郷土だけでなく、北陸地方の発展のために私財を投じて寄与されました。 伏木港の波除け工事の取り組み、明治6年(1873年)には富山県で最初の伏木小学校の設立、明治10年(1877年)日本海側で最初の洋式灯台の完成、明治16年(1883年)には私立伏木測候所(現在の気象資料館)の観測がはじめられ、明治33年(1900年)には、能三さんらの鉄道誘致運動が実って高岡・伏木間に中越鉄道が開通となるなど全精力を尽くされ数々の多大なる功績を残され、大正2年(1913年)享年66歳、伏木の人々は町葬をもって能三さんを報いた。 今もなお私たち住民の心に深く刻みこまれ、語り伝えられている。 |


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天平勝宝二年三月二日 遥聞泝江船人之唱歌一首 朝床に聞けば遥けし射水川 朝漕ぎしつつ唄ふ舟人 |
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天平勝宝2年(750年)3月2日、越中国守大伴家持が官舎の朝の朝床ではるか射水川を漕ぎ歌う船人の声を聞いてよんだ歌である。射水川(小矢部川)は当時この台地のかたわらを流れていた。国庁推定値である勝興寺境内附近には、岸が館・大立などの当時の役人の邸宅の存在を示す地名が残っている。このあたりを東館と呼ばれ、国守館の跡と推定されている。
高岡市教育委員会 |
