松尾芭蕉が「奥の細道」の行脚で、万葉故地「田子の藤波」を訪れようとしたが果たせず、あきらめて加賀の国に入った。 このときの「早稲の香やわけ入る右は有磯海」は越中で詠まれた唯一の句である。後に芭蕉が惹かれた氷見の地を慕って訪れた門人達との密接な興隆から、氷見の俳壇は隆盛を迎えた。 このとき芭蕉への追慕の念から有磯塚は建立された。 建立者は加賀津幡の河合見風、筆者は無明狂者(加賀藩家老前田土佐守直躬)である。 県内の芭蕉の関係碑としては最も古いものと考えられており、氷見の俳諧史において重要である。
氷見市教育委員会 |
芭蕉「有磯塚」句碑除幕式寄す 有磯辺に一すぢ遠き道の秋
『愛日抄』 |
仕切菊郎は氷見の俳人で『若葉』同人。 富安風生は本名謙次、高浜虚子に師事。昭和4年(1929年)、「ホトトギス」同人となる。『若葉』主宰。 |
寛保年間(1741 〜1744)に河合見風建立。無明狂者筆。 |
河合見風は加賀津幡の俳人。倶利伽羅峠に「寝覚塚」を建立したが、今はない。 |
昭和13年(1938年)、氷見大火で罹災。 昭和41年(1966年)、常願寺移転により移設。 |