私の旅日記2005年

黒磯市郷土館〜野口雨情の歌碑〜
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 2005年1月1日、黒磯市・西那須野町・塩原町が合併して那須塩原市が誕生。

旧黒磯市は「巻狩りの里」。

 JR東北線黒磯駅の前に「とちぎふれあいの自然歩道巻狩りの里めぐり」の案内があった。

巻狩りの里めぐり

 源頼朝が鎌倉幕府を開いた翌年(1193年4月)その勢力を天下に知らしめるためにここ那須野ヶ原一帯で大きな巻狩りが繰り広げられました。

 この巻狩りは「那須野巻狩」と呼ばれ、三浦氏、和田氏、梶原氏など鎌倉幕府を支える有力な武将が参加したほか、獲物を追い出す勢子(せこ)10万人が加わり、その声は天地を揺るがす雷鳴のようであったと伝えられています。

 解説 『吾妻鏡』によりますと、那須野巻狩が行われたのは、建久4年(1193年)4月2日〜23日までの22日間となっています。

 三浦介義明(1092−1180)が九尾の狐を追跡中、姿を見失ってしまったが、池の面近くに延びた桜の木に蝉の姿に化けている狐の正体がうつったので、三浦介は難なく九尾の狐を狩ったと伝えられているそうだ。

 黒磯駅から県道55号西那須野那須線を行き、左折すると黒磯市郷土館がある。


旧津久井家住宅(黒磯市郷土館)


 昭和43年12月、当主「津久井小一」氏より旧宅の寄贈を受け、翌昭和44年12月現在地(橋本町8−47)に移転し、黒磯市郷土館家屋としているそうだ。

黒磯市郷土館の前に野口雨情の歌碑があった。



こんこんお啼き那須野乃原のこんこんきつね

歌碑とは言っても、短歌ではない。

歌碑の裏に野口雨情の略伝が書いてあった。

野口雨情略伝

明治15年 茨城県多賀郡中郷村磯原に生る
仝 34年 早稲田専門学校入学
仝 37年 栃木県喜連川高塩ひろと結婚
 その後全国各地を巡歴
 童謡名作、七つの子、兎のダンス
 証城寺の狸囃子、赤い靴等を残す
大正11年 黒磯に講演来駕この作品を執筆
昭和18年 宇都宮市外鶴田に疎開
昭和20年 1月27日疎開先にて永眠す

道の駅「きつれがわ」に「雨降りお月さん」の詩碑がある。

歌碑の脇に黒磯市教育委員会の詳しい説明があった。

野口雨情の歌碑

 野口雨情(1882〜1945)は、「七つの子」、「赤い靴」などを作詩し、三木露風、山田耕作などとともに明治・大正期を代表する詩人である。

 雨情は作詩に励むだけでなく、児童教育のあり方にも目を向け、情操教育の一環として童謡の普及に尽力した。この提唱は教育界にも共感を呼び、各地の研究集会などに招かれて講演をして廻った。

 この歌碑の歌は、大正11年(1922年)に鍋掛尋常高等小学校(現鍋掛小学校)で講演を行った際に詠まれたものである。

 鍋掛尋常高等小学校で校長を務めていた故村上三千三宅に野口雨情直筆のこの歌の書が永らく保管されていた。

 後年、三千三氏の子息源太郎氏と懇意であった金澤知正黒磯ロータリークラブ会長がこの話を聞きつけ、国際ロータリークラブ75周年の記念事業として建立したものである。

 なお、宇都宮市矢板市塩原町にも歌碑が残されているなど、栃木県との縁は深い。

碑文

こんこんお啼き那須野乃原のこんこんきつね   雨情

黒磯市教育委員会

聖蹟愛宕山公園へ。

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