都道114号武蔵野狛江線(吉祥寺通り)沿いに、「明日への夢」の碑があった。 |
この碑銘は、昭和60年(1985年)に東京都青少年健全育成審議会の依頼を受け、彫刻家北村西望(1884―1987)が未来を担う青少年に贈る言葉として書いたものです。 平和祈念像を制作するため、1953年にアトリエを井の頭自然文化園の中に建たてました。その後もここで制作活動を続け、作品の多くを東京都に寄付し、1980年には名誉都民の顕彰を受け増した。当園では平和祈念像の石膏原型をはじめとする作品群をアトリエと共にご覧いただけます。
井の頭自然文化園 |
「心に太陽を持て」は、ドイツの詩人ツェーザル・フライシュレンの詩の冒頭の句である。高橋健二はドイツの家庭で、この詩が聖書のことばなどと共によく壁や柱にかけられているのを見て、心を引かれたので、NHKのラジオ放送で紹介した。 山本有三先生もこの詩に共感し、みずから編輯した「日本少年国民文庫」の第一巻をなす逸話集の巻頭にその訳をかかげただけでなくその巻の題名を「心に太陽を持て」とした。 異色ある書名は新撰で充実した内容と相まって、大きな反響を呼んだ。この一句は山本文学の向日性の精神を言いあてているので、先生の好んでいたことばである。
高橋健二 |
著名な文学者で三鷹市名誉市民でもある山本有三氏(明治20年〜昭和49年)が、昭和11年から21年まで居住された建物である。同氏はここで代表作「路傍の石」を執筆したが、進駐軍に接収され転居した。その後、昭和31年に土地とともに東京都に寄贈され、昭和60年には三鷹市に移管された。平成8年11月に、有三氏の業績を顕彰するとともに、貴重な文化財としての保存を目的として、三鷹市山本有三記念館が開館した。 この建物は、当時導入された海外の近代的様式の折衷的表現を試みており、特色のあるデザインを示す洋風建築である。特に外部の暖炉煙突の石積みは、日本にはめずらしい表現である。
三鷹市教育委員会 |
四月なかば、ひるごろの事である。頭を挙げて見ると、玉川上水は深くゆるゆると流れて、両岸の桜は、もう葉桜になっていて真青に茂り合い、青い枝葉が両側から覆いかぶさり、青葉のトンネルのようである。
太宰治「乞食学生」より |
昭和23年(1948年)6月、太宰治は近くの玉川上水で自らその39年の生涯を終えた。 |
昭和42年(1967年)、北村西望は「平和の女神」制作。 昭和44年(1969年)、武蔵野市の「世界連邦都市宣言10周年」を記念して建立。 |