YWCAビルの一帯には、幕末の幕臣・小栗上野介忠順(ただまさ)の屋敷がありました。 上野介は安政6年(1859年)に目付になり、翌万延元年(1860年)に日米修好通商条約の批准書交換のため、新見豊前守正興・村垣淡路守範正とともに渡米しています。 帰国後は外国奉行・勘定奉行など要職に就き、また幕府財政のたて直しや薩長に対して主戦論を唱えました。 のち、新政府に捕らえられ生涯をとじました。
千代田区教育委員会 |
元治元年(1864年)11月、小栗上野介は勘定奉行を免ぜられ、慶応4年(1868年)3月1日、権田東善寺に隠棲、閏4月6日水沼村烏川原にて斬首。時に42歳であった。 |